・与えることはうれしいこと。
・見返りを期待して「与えること」が大事なのではない。
・他者を受容する。
・自分は神に受容されている。
・「人を裁くな」は、直前の36節から発生してくること。「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」神が憐れみ深い、だから、あなたも…という順序は、常に大切。愛することの前提は愛されていること。
・「人を罪人だと決めるな」は、「裁くな」ということを説明しているもの。6:27―36の敵を愛しなさい、と同じ考え。
・私たちが他者に寛容である以上に、神様は私たちに対して寛容、寛大でいてくださっている。
・「与えなさい」は、「赦すこと」の文脈にある。「与えること」とは、神の愛に根ざし、与える、その内容も神の愛である、つまり、赦されていること、受容されていることである。
・「盲人」の隠喩について。「与えれば、戻って来る、戻って来るから与える」という原則で生きる人、力には力で対抗する人、他者を裁く心でいつもいる人等。(反対は、神の愛を知るゆえに、その愛に生きようとする人。)「二人とも穴に落ち込む」という風刺は興味深い。
・「師」は、イエス
・キリスト。
・「偽善者」は、ファリサイ派の人々だけでなくて、弟子たち、つまり私たちに該当し、耐えず人を裁かないように注意を払う必要がある。
・「押し入れ、揺すり入れ、あふれるほど…」これは、終末における神の寛大さの表現で、それを受けることができることが念頭にある。
・「ふところに入る」は、パレスチナのすその長い衣服を広げるとたくさん物が入るから。