・イエスさまが求めておられるのは、自分の都合を優先した自己中心的な態度ではなく、もっとも小さい者たちのために、自分を差しだす態度であることを学ぶ。
・33節~35節と、36節~37節は、厳密に考えるなら違った課題を取り扱っているといえる。
・ここでは、前半の課題を中心に取りあげつつ、後半の課題へと敷衍して展開した例を示したが、どのような取りあげ方をするかは説教者に委ねられている。
・ちなみに、「子ども」という存在に、より中心的な焦点をあてているのは、聖霊降臨後第19主日
の日課の方である。
・ここでは、日本という国が負っている過去の負の歴史にてらして、あえて個人ではなく国家という単位で、自己中心的な態度のもつ罪の問題を考察した。
・もちろん、身近な出来事を事例にして、イエスさまが「いと小さき者」に対して、どのような態度を求めておられるかを考えてみてもよい。
・イエスさまの時代、人間の存在についての価値基準は、いかに律法を遵守することができるか、という基準から評価された。
・したがって、定められた律法を守ることの出来ない「子ども」は、律法に照らして「無能力者」の代表であり、「子ども」であることに価値は見いだされなかった。
・したがって、偉くなることを求めた弟子たちの真ん中に、「子ども」を立たせたことは、無力な者、無価値と判断される者を優先するというイエスさまの姿勢を、弟子たちに明示するという意味を持つことになった。