悪魔に勝ったイエス様を認識する
この世界は悪魔の存在は否定しつつも、悪魔的なものには十分、人は振り回され、一瞬の栄光から次はどん底に叩き落されるう誘惑や試練がある。しかし、イエス様を知る者は、何も知らない者のようではなく、そういうものだと自他共に認識しながら生きる恵みがある。
悪魔という言葉には、「告発する者」「誘惑する者」という意味があり、試みという言葉には、「試練」という意味や「誘惑」という意味がある。
学校という場所も含めて、人の集まるところでは、先生とか、その集合を纏めていた人がいなくなると、すぐに偉そうに出てくる人がいます。多くの場合、戸惑いながら、そういうものかと慣らされてしまうこともあります。けれども後々、ばれてしまい、大問題や大事件に発展することをよく目にします。
もしかしたら、そうしたものに巻き込まれたり、傷ついたり、納得できぬまま悶々とすることが、みんなもしていることもあると思います。イエス様もそのような出来事に会われました。それ荒野という寂しい場所で、悪魔に会われました。
悪魔からは、お腹が空いた時に「石をパンに変えろ」と言われたり、高いところに登り「すべてはお前のものだ」交換条件で私を拝めと言われたり、そんなに神様と言うなら、飛び降りて助けてくれるか試してみたらどうか。と、神様から引き離すようなことをたくみに仕掛けてきます。思い当たらないかな。でもこうした罠や仕掛けをイエス様は、御言葉を通して、一切受け入れられませんでした。
こうした試練はイエス様と悪魔だけの出来事のように見えますが、試練や誘惑に陥って、悔いる人にとっては、救いになります。色んなことで失敗したなと思える心を引きずらずに、素直にイエス様助けて下さいと祈る時、こちらの気持ちを知りつつ、何度も何度も救いの方向へ導いてくださるのです。
(執筆: 朝比奈晴朗牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)36番「しゅイエスのみちを」、改訂版120番「しゅイェスのみちを」。
パン・地球・高い山(ビルや塔)を作って、悪魔に誘惑されても打ち勝ったイエス様の言葉を書いてみよう。
*パン…食パン・コッペパン等々いろいろなパンがあるので、自分の考えるパンを書く。
*地球…世界を表すため、地球儀をイメージして書いてもいいし、地球儀をコピーしてもいい。
*高い山・ビル・塔…高いところのてっぺんにイエス様を描く。
※パンの形・地球儀・高い山(ビル・塔)をその形に切る。その紙の裏にそれぞれ、イエス様が悪魔に言った言葉を書いてみよう!
イエス様を知るものの人としての大きな違いは、「頭ごなし」に物事を判断しないという恵みがあります。あえて客観的に考えたり、キリストと共に祈り、考えることは、大切なことではないだろうか。今は、高い技術で、合理的で、有効的な方法を教えてくれるけれど、それにはまり込むと神様の思いに至らない怖さもあることを認識しておく必要があるように思えます。