神の国、天国というのは、イエス様と共にあること。
俗っぽい私たちにとって、天国と聞くと、自分の好き勝手できるところ、贅沢三昧できるところのように刷り込まれているが、聖書を辿ると、神様の秩序が保たれているところと捉える方が望ましい。ただ罪によって、滅びの世界を私たちの生きる世界にもたらしてしまった一方で、神様が感情を持っていることを示し、その変わらぬ愛の思いは今も変わらず、イエス・キリストによって救いをもたらされたことに気づけることは、個人的にも社会的にも大きな恵みとなる。
白く輝いたことに強調されているのは、イエス様ご自身が神様ご自身であることを示している。
イエス様が天国に連れて行ってあげると君に話しかけたら、君はうれしいだろうか。天国って、どんなところ、おいしいもの食べれる?好き勝手なことができる?そんな自分のことばかりに心を奪われてしまわないだろうか。イエス様も困っている人達を放っておけなくて、癒したり、空腹を満たす奇跡を行ったけれど、人々は満たされることや、安心することに心を奪われてしまって、イエス様が込められた愛の思いにまで馳せることは誰一人できませんでした。
イエス様が神の子として、神様の愛を示すためには、どうしたら良いか、モーセみたいに導く方になるか、エリヤみたいに間違ったことは間違っていると神様の言葉を知るものとして、伝え続けるのが良いのか、方法を考えていました。でも、イエス様の方法は、全ての人、どんな人の身代わりになるということでした。
しかし、それはとても誤解を招くことなので、他のことも考えようとしましたが、神様ご自身が、「これは私の愛する子、これに聞け」とこれからイエス様に起こる出来事を定められました。
(執筆: 朝比奈晴朗牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
この箇所には、モーセやエリヤという人物が登場する。歴史事典や聖書事典、旧約聖書そのものから調べてみて、発表してみてはいかがでしょうか。又、調べた記事から自分の印象の残ったことを分かち合ってみてはいかがでしょうか。