人生、山あり谷あり。それでも神が私たちの歩む道を守り導いてくださると信頼できますように。
人生は旅に例えられて「人生の旅路を歩む」と言ったりもしますが、子どもたちはその道のりを歩み出したばかりなので、まだ人生の旅路という感覚はあまり無いかもしれません。道を歩くことと人生を生きることとを重ねて語ると、かえって分かりにくくなると思われる場合は、もっと日常的な出来事に置き換えるのも良いと思います。園庭や近所の散歩道を子どもたちが歩く時、足を取られたり転んだりしないように親や先生たちが見守っているように、神さまは皆さんを一緒に歩いて見守ってくださっているということを伝えられたら素晴らしいと思います。
4節にあるイザヤ書からの引用は「荒れ野で叫ぶ者の声がする」という言葉から始まります。荒れ野とは、どのような場所でしょうか。聖書の舞台であるパレスティナの荒れ野は、乾燥して固くなった地面に岩石がゴロゴロしている岩石砂漠です。人が生きていくには過酷な環境で、昼は直射日光が遮るものもなく照りつけ、逆に夜は冷えこみます。とても助けが無ければ生きていけないという場所です。人生にもまたそのような苛烈な「荒れ野」を経験することがあります。その時、まさに荒れ野で叫ぶ者の声は自分自身に語られています。
海に行って、砂浜を歩いたことがありますか? あるいは、山に登って石や岩がゴロゴロしているところを歩いたことがありますか? いつも歩いている道路とどっちが歩きやすいかというと、道路の方が歩きやすいと思います。砂の上を歩くと足が沈んで重くなってなかなか進みません。石や岩がゴロゴロしているとつまずいたり転んだりしてしまうかもしれませんので、ゆっくり注意して進まないといけません。それに比べて道路は平らで歩きやすいですね。たまには砂浜を歩いたり山に登ったりするのも楽しいですが、毎日歩くところが砂や石ばっかりだったら、大変です。足を使って体も疲れるし、気を張って心も疲れてしまいます。そうやって私たちが毎日歩く道は、私たちの人生にも例えられます。生まれてから死ぬまで、生きているといろんなことがあります。嬉しいことや楽しいことがあって気分が上がる時もあれば、つらいことや悲しいことがあって気持ちが沈む時もあります。足が重くて前に進めない時や、つまずいたり、道に迷って行き詰まったりすることもあるでしょう。そんな時は、道をまっすぐ平らにしてくださる神さまのことを思い出してください。疲れて座り込んだり転んだりしても、神さまがあなたの手を取って力と勇気を与えて立ち上がらせてくださいます。神さまが、道に空いたでこぼこの穴を埋めて危ない石や岩を退けて、あなたが歩く道を整えてくださいます。どんなことがあっても、神さまの言葉を思い出して、お祈りしてください。
(執筆: 多田哲牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
用意するもの
リースの土台(画用紙をドーナツ型に切ったり、木のツル等を丸くしたり)、落ち葉や木の実、海が近くにあれば貝殻や砂浜に落ちているもの、道に落ちている綺麗な石等、ボンド、のり、グルーガン等
・リースの土台にそれぞれ好きなものを付ける。
・飾りを付け終わったら吊るす用の紐を付けて出来上がり。
道に落ちていて歩く時には邪魔になってしまうようなものも、こうして飾るとたちまち一つの作品になりますね。
私達も神様の教えの道を常に整え、まっすぐに歩いていくことができますように。
歩きにくい道、歩きやすい道、近所にどんな道があるでしょうか?
道に迷った時、スマホの電波が圏外で地図も持っていなかったら、どうしますか?
落ち込んだ時に励ましてくれる言葉は、どんな言葉ですか?