素晴らしい建物ではなくて、素晴らしい信仰に目を向ける
・神殿は神様にお会いして礼拝するところ。しかし、イエス様は、あなたが神様を宿す神殿と
・教会も実は建物ではなくて、「集められた人たち」の意味
・教会のカレンダーは11 月末に一つのサイクルが終わり、クリスマスを待つアドベントから新しい一年が始まる。
今日は一年が終わる直前のところで、「終末」を考える聖書箇所でもある。「世の終わり」は「自分の人生の終わり」や「今までの生き方を振り返る」と気でもある。
・私は、何を見ているだろうか?
・神殿には歴史的に次の三つがある
1) 最初の神殿:ダビデが建てようとしたがその過ちのゆえに神に許されず天幕だった、子のソロモン王によって建てられた。後のものと区別するために、第一神殿、ソロモン神殿とも呼ばれる。
2) 第二神殿:ユダの国がバビロンに滅ぼされて神殿は壊されたが、バビロン捕囚からの帰還後の紀元前515 年に、再建された。
3) ヘロデ神殿:紀元前20 年にヘロデ大王によって完全改築に近い形で大拡張された神殿。イエス様の当時の神殿は、これである。 「見事な石」は大きな石で、神殿の東側は金の板でおおわれて輝いていた。ガリラヤ出身の弟子にはまさに驚嘆に値するものだったであろう。イエスの昇天後、紀元70 年ユダヤ戦争の時に破壊されたので、現在「嘆きの壁」と呼ばれる部分はヘロデ神殿を取り巻いていた外壁の西側部分の一部。
・新約聖書では、ヨハネ福音書にイエス様が「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」と宿る神殿としてのご自身と3 日目の復活を預言され、使徒書では神の宿る場所としての神殿は、建物ではなく、神が宿る私たちだと、キリスト者の生き方を教えています。1コリント3.16、エフェソ2.19-22
・旧約聖書で神殿はとても大切にされていますが、神様の教えは石板ではなく「心の板に刻め」(箴言3.3)、「あなたの造り主を心に刻め」(コヘレト)とも言われています。
・石は、キリストが捨てられたが隅の石となり、尊い生ける石となったこと、キリスト者も生きた石として用いられることを、教え、進めています。