TNG The Next Generation

2024年11月17日 聖霊降臨後第26主日

福音書 マコ13:1〜8
第一の日課 ダニ12:1〜3
第二の日課 ヘブ10:11〜14,19〜25又は10:11〜25

今週の聖句

「一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」
マルコによる福音書13章2節

ねらい

素晴らしい建物ではなくて、素晴らしい信仰に目を向ける

説教作成のヒント

・神殿は神様にお会いして礼拝するところ。しかし、イエス様は、あなたが神様を宿す神殿と

・教会も実は建物ではなくて、「集められた人たち」の意味

・教会のカレンダーは11 月末に一つのサイクルが終わり、クリスマスを待つアドベントから新しい一年が始まる。

今日は一年が終わる直前のところで、「終末」を考える聖書箇所でもある。「世の終わり」は「自分の人生の終わり」や「今までの生き方を振り返る」と気でもある。

・私は、何を見ているだろうか?

豆知識

・神殿には歴史的に次の三つがある

1) 最初の神殿:ダビデが建てようとしたがその過ちのゆえに神に許されず天幕だった、子のソロモン王によって建てられた。後のものと区別するために、第一神殿、ソロモン神殿とも呼ばれる。

2) 第二神殿:ユダの国がバビロンに滅ぼされて神殿は壊されたが、バビロン捕囚からの帰還後の紀元前515 年に、再建された。

3) ヘロデ神殿:紀元前20 年にヘロデ大王によって完全改築に近い形で大拡張された神殿。イエス様の当時の神殿は、これである。 「見事な石」は大きな石で、神殿の東側は金の板でおおわれて輝いていた。ガリラヤ出身の弟子にはまさに驚嘆に値するものだったであろう。イエスの昇天後、紀元70 年ユダヤ戦争の時に破壊されたので、現在「嘆きの壁」と呼ばれる部分はヘロデ神殿を取り巻いていた外壁の西側部分の一部。

・新約聖書では、ヨハネ福音書にイエス様が「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」と宿る神殿としてのご自身と3 日目の復活を預言され、使徒書では神の宿る場所としての神殿は、建物ではなく、神が宿る私たちだと、キリスト者の生き方を教えています。1コリント3.16、エフェソ2.19-22

・旧約聖書で神殿はとても大切にされていますが、神様の教えは石板ではなく「心の板に刻め」(箴言3.3)、「あなたの造り主を心に刻め」(コヘレト)とも言われています。

・石は、キリストが捨てられたが隅の石となり、尊い生ける石となったこと、キリスト者も生きた石として用いられることを、教え、進めています。

説教

もうすぐ一年が終わるけど、どんな一年でしたか? 「えっ!まだ早いよ。先生おかしいよ」って?いいえ!そんなことありません。教会の一年は、みんなが大好きなクリスマスとその準備をする一か月間、そこから始まるから、今年は今日と来週の日曜日で終わり、というわけ。だから、今日の聖書は、「世の中の終わり」の話で、ちょっと怖い話も出ていました。どういう意味でしょうか?

イエス様とお弟子さんたちは、北の方の静かな田舎に住んでいました。エルサレムに来た時に、すごく大きくてきれいな神殿を見てビックリ。「いゃ、イエス様、見てください。すごいですねぇ!」ってお弟子さんが言いましたが、イエス様は冷たい返事。「これも全部壊れてしまうよ」「偽預言者や戦争や地震もある」とね。えー、どう したらいい? でも大丈夫。イエス様はこうも言われています。「人に惑わされないように注意しなさい」「新しい自分や社会が生まれる、その前の苦しさだからね」とも。イエス様は、今までの人や社会を変えるために来られました。みんなが大切にしてビックリするような事じゃなくて、あまり気にしないことを大切にされました。それは、お金がない人、相手にしてもらえない人、建物よりもその中の人。神殿も、大きさや立派さはよりも中にいる人たちが大切。人も大きさや強さや高い服を着ているとか関係ない。だから、どんなきれいで大きな神殿も壊れてしまうさ、変なことをいう人や、戦争や地震で君たちが大切にしている物も壊れるかもしれない。その時はじめてわかるよ。何が一番大切かってね。

イエス様が教えてくれた「何が一番大切か」ってなんだかわかった? それは、「神様と、人のやさしさ、そのつながり」なんだ。それがわかること、それが「新しい自分や社会が生まれる」ことなだね。そんな自分になったかな?この一年どうだった?神様のお話を聞いて、お友達と仲良くできたかな?そんな自分になれるよう、お祈りしよう。

(執筆: 徳弘浩隆牧師)

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

やってみよう

はなしてみよう

・イエス様がおられたイスラエル/パレスチナのベツレヘムにもルーテル教会があるんだ。ミトリ・ラヘブという牧師がいて、私(徳弘)とも同じ年齢で、訪ねたり招いたりもしました。彼の言葉はこうです。「世界中から聖地に人が来るのはうれしい。みんな、この石畳の階段や、この神殿の一部はイエス様の頃の石だろうかと、感激してさすって祈る。でも、この石だけではなくて、我々・生きた石を見てほしい。」と。生きた石は、神様によって掘り出され、据えられている教会のメンバーたちなんだ。迫害や紛争の中でも、平和を祈り信仰を大切にして生きている。

・僕たちも外見だけを気にしていないかな?一番大切な、内面、心の中、正しさややさしさ、それを大切にできているかな?

・外見と中身が違ってびっくりしたこと、がっかりしたこと、そんなことを思い出して、話してみない?

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