2024年11月10日 聖霊降臨後第25主日
マコ12:38〜44 王上17:8〜16 ヘブ9:24〜28

今週の聖句

「だれよりもたくさん入れた」
マルコによる福音書12章43節

ねらい

見せかけの信仰ではなくて、本当の信仰に目を向ける

説教作成のヒント

・律法学者は聖書の専門家で、今でいう牧師さんや神学の先生のような役割以外にも、コミュニティーの裁判官や民生委員さんのような役割もあったで。トラブルや困りごとも聖書の数か所の規定を根拠にして指導や裁定をすることもある

・割合を考える「大切な仕事だ。つまり、宗教家だけでなく司法的な仕事もあったのだ。しかし、律法の知識と厳格な遵守を重視するあまり、その律法の精神を失いがちになり、自分たちの権威を誇示するようになり、人々にそれを要求するが、自分たちはどうか?という視点がなくなっていった。だから、イエス様から責められることになった。

・1デナリオンが労働者の一日の賃金といわれていますから、今年の日本の東京の最低賃金で計算すると1,113 円×8 時間で8,904 円ほどになります。2 レプトン・つまり1 クアドランスはその1/64 で139 円となるでしょうか。

・神様への献金は、金額ではない。自分に与えられた物のどれだけの割合かが大切。礼拝の献金の祈りでは、「与えられたすべてのものに感謝をして、その一部をお返しします。神様と人々のために使ってください」と祈る。

豆知識

・2 レプトン=1 クァドランス、1 クァドランス=1 アスの1/4、1 デナリオン=16 アス、したがって1 クァドランス=1 デナリオンの1/64

・聖書の通貨の換算は、ギリシャとローマのそれぞれの通貨の単位や硬貨とそれぞれの交換比率(レート)に依存し、大変ややこしいものです。ローマの通貨でデナリオンが銀貨でアス(アサリオン)が銅貨でした。クアドランスは古代ローマの通貨で、1 アスの1/4 です。レプトンはギリシャの最小単位の銅貨です。

・クアドランスはクォーターという言葉を思い出しますね。実はクアドランス(Quadrans)は、ラテン語で『4分の1』を意味する『クアットゥオル(quattuor)』に由来し、クォーター(4 分の1)の意味を持つ言葉です。

・割合を考えるときに使う言葉の「パーセント」は、「パー(per)」と「セント(cent)」の複合語で、「per」は「~に対して」、「cent」はラテン語の「centum(100)」に由来します。つまり、「パーセント」は「100 に対して(割合)」という意味です。セントやセンターボという小銭は1 ドルや1 ペソの1/00 だという事も合点がいきますね。

説教

「ポケットの中にはビスケットが一つ、ポケットをたたくとビスケットが二つ」という歌がありますね。「そんなポケット欲しい!」って思うよね。だけど先生は「増えるわけないじゃん」「たたいたから、割れただけだよ」と思ってました。でも歌の続きを聞いて納得。「そんな不思議なポケットが欲しい」と続くからです。

ポケットに何が入ってる?ビスケット? 献金のお金? 献金するとき「いくらしようかなぁ」って思うことない?パパやママに「これは献金ですよ」って言われてもってくるから、そんなことないかな?でもね、大人になったら迷うこともあるんだよ。「あれを買わなきゃ、あれも払わないと あれー?足らないよ!どうしよう?」ってね。

イエス様のお話はこうでした。神殿の献金箱に、大金持ちの人たちがたくさんお金を入れました。でも、そこに来たおばさんは、少しだけ。だってその人は、ご主人が死んでしまっていて、お金がないから。でも、イエス様はこのおばさんのことを褒めたんだ。「この人は、誰よりもたくさん献金したよ」ってね。「えー!おかしいなぁ、イエス様は算数が苦手だったの?」どうしてだろう?それが今日の聖書の大切なお話。

人間は、献金をしたお金の量やその人の顔を見るけど、神様はそうじゃないんだ。数えてノートに順番を書くんじゃない。神様が見るのは心の中。どれだけ神様が好きで、神様ありがとうって思っているかなんだ。このおばさんは、少しだけど財布の全部を出した。心の中は神様でいっぱい。だから、「あれも買うし、あれも欲しいし」じゃなくて、「神様ありがとう、空っぽになったけど大丈夫、あなたは私を守ってくれるから」って。

ポケットをたたかなくても、神様を愛している人のポケットは、神様が空っぽにならないようにしてくれるんだ。神様はあなたを愛していて、いつも助けてくれるから大丈夫。そして献金は、神様にお返しして、教会の仕事や困った人のために使われます。神様と、お友達と一緒に、安心して生きていきましょう。

(執筆: 徳弘浩隆牧師)

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

旧版(1987年版)3番「きよいあさあけて」、改訂版97番「うつくしいあさも」。

やってみよう

☆捧げる重みを感じてみよう

<用意するもの>紙(お札の大きさに切ったもの) 一人...10枚ずつ、ペン、献金箱、税金を納める箱


・お札の紙に10000円と書く。お札の模様を自分で描いてもいい。

・最初は10万円全部持っている。その中から献金箱に1万円お捧げする。

 その時、どんなふうに感じる?言ってみよう。

・次に税金の納める箱に4万円払う。残りは?5万円。

・5万円持って献金箱に1万円お捧げする。

 この時はどんな気持ちかな?前と違うかな?言ってみよう。

・次に、また税金を納める箱に3万円払う。残りは?1万円!

・献金箱の前に行って、残りの1万円をお捧げする。

 この時、どんな気持ちになるだろう。言ってみよう。


※献金は、同じ1万円なのに持っているお金が違うと、感じ方が違うことに気づいたかな?持っているものを全て捧げたときの気持ちは?このお話でイエス様が伝えたかったことは何かな?

はなしてみよう

・いいことをしようと思っても、人の目を気にしてできなかったりすることないですか?席を譲るとか、困っている人を助けるとか。反対に、本当は気が進まないけど、人が見てるからと、やることはないですか?恥ずかしがらずに経験を話してみない?

・私はありましたよ。人の目を気にして、本当はいやだけどやったり、本当はやってあげたいけど勇気がなくってできなかったり。ブラジルの地下鉄で重たい荷物を持って立っていたら、腕をつかまれたので「どろうぼうか!?」とビックリしたことがあったけど、「重たいだろ、ここ座りなよ!」と引張って座らせてくれた人がいて、泥棒じゃなくてやさしい人だったんだ。それでもう一度ビックリ!先生も少しずつ、人の目を気にしないで、遠慮もしないで、だれでも助けてあげ、声をかけてあげれるようになりました。