宗教改革主日である。マルティン・ルターが、福音の再発見を通して新しい改革運動へと邁進したことを覚えたい。
マルティン・ルターは修道士であったが、「怒りの神」を恐れていた。しかし、「塔の体験」という心を改める回心の体験を通して、「怒りの神」から「恵みの神」を再発見するプロセスを経験する。それは、神が怒り、罰するという律法的な神理解から、恵みを日々与えてくださる福音的な神理解への回心体験であった。この恵みの神の再発見こそ、今日の福音書の日課「真理はあなたたちを自由にする」という主イエスのみ言葉がぴったりと当てはまるような喜びに満ちた体験であった。
マルティン・ルターの「塔の体験」をおぼえて下さい。それは回心の一連のプロセスと言われています。時期は、1514年から1518年頃です。もともとルターは修道士でありましたが、神に自分は罰せられるのだと脅えていたのです。彼にとって、神は怒りの神でありました。しかし、この悩み深い時期を乗り越えて、ルターは神が恵みの神であるとの再発見をしていきます。信仰的に成熟していくのです。そして、恵みの神を新たに体験することから、ルターは福音の確信に満ちた宗教改革者として、歴史の舞台に登場していきます。この「塔の体験」は、別名、「宗教改革的突破(転回)」とも言われているものです。
マルティン・ルターってみんな知っているかな。ルターは今から500年前に、宗教改革という大きな出来事を巻き起こした人物です。
そもそも、このルターは、修道士として、神様に祈る生活を送っていました。当時、ルターは何度も修道士の先輩に、自分の罪の告白をして、その先輩修道士を困らせるくらいでありました。
当時のルターにとって神様とは、怒り、罰する神様でありました。厳しい神様を恐れて、怯えて暮らしていたのです。そのような暗い気持ちを抱えて、彼は生きていたのです。
しかし、そのルターに転機が訪れます。修道院の小部屋での暮らしをする中で、祈り、そして、聖書の熟読を重ねていく中で、神様は怒りの神様ではなく、実は、私たちに恵みを与えてくださる、愛と赦しの神様であるとの、新しい神様の理解へと変えられていったのです。恵みと愛と、赦しの神様の再発見とも言えるでしょう。
ルターのこの体験は、回心とも言います。この回心の体験は、ルターが宗教改革を行う前の時期に当たりました。
ルターはこの福音の再発見を通して、その後、カトリック教会との宗教改革運動へと邁進していきます。
さて、ここまで話してきたルターの体験は実は、「塔の体験」と言われています。ルターはこの「塔の体験」を通して、このように言っています。「今や私はまったく新しく生まれたように感じ、戸が開かれ、天国に入ったように感じた」と。ルターは、この「塔の体験」によって、本当のイエス様の説いた福音の豊かさと喜びを再発見したのです。
ここからルターは恵みの宗教改革者として、新しい人生を送るようになります。
神様は、怒りの神様ではなく、恵みの神様です。ルターの再発見したこの恵みの神様のことを私たちもおぼえて、今週一週間も元気に歩んで生きたいと思います。
(執筆: 筑田仁牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)5番「かみさまは」、改訂版49番「かみさまはそのひとりごを」。
宗教改革主日、ということでマルチン・ルターとバラの紋章について学びましょう。
紋章の背景や花などの色、一つひとつに意味があります。ルターの紋章は、そもそもルター家に伝わるバラのマークが元になっていると言われています。バラの他に、ハート(心臓)と十字架、それを包む円環でデザインされています。
黒い十字架の付いた赤いハートは死んでよみがえったキリストへの信仰を。その周りの白いバラはこの世を超えた喜び、なぐさめ、平和を。空色の地は天の始まりを表し、それらを囲む金色の輪は永遠にして高貴な救いを与えられていることを象徴しています。
このように、ルターは自分の信仰と教会観を表すために紋章を考え出しました。私たちも、私たち自身のハート(心)の中心に十字架をしっかり持ち、日々を過ごしましょう。
<準備>
・プラバン(100円ショップで買えます) ・油性マジック ・穴あけパンチ ・トースター・アルミホイル ・ルターの紋章のコピー(左のリンク先は三鷹教会。ルーテル教会ホームページから画像をコピー可)・キーホルダーの金具(100円ショップで買えます)
<活動>
① コピーの上にプラバンを置いて、プラバンに紋章を描き写す。(自分で写すのが難しい子どもには、描き写したものを渡す)
② 輪郭と同じ面に色を塗ると色がにじむことがあるので、プラバンを裏返して裏面から色を塗る。
③ 塗り終わったら、金具をつけるところにパンチで穴を開ける。
④ トースターにアルミホイルを敷き、その上で焼く。
⑤ 冷めたら金具を付けて、できあがり。
神様は恵みに満ちておられること、今では当たり前のようになっているけど、実は、ルターの時代では当たり前ではなかったのです。ルターは修道院の小部屋で祈りの中に過ごす中で、苦闘しつつ、神様が怒りの神様ではなく、恵みに満ちたお方であることを再発見しました。まさに福音そのものの再発見とも言えるのです。この恵みの福音を、私たちは末永く、子どもたちにも伝えていきたいと願います。