人々が主イエスのところに子どもたち連れてきた時、弟子たちは叱った。しかし、主イエスは子どもたちを招いて祝福された。主イエスは子どもたちが大好きなのである。
子どもが大好きなイエス様であることをまず第一に強調したい。人々が子どもたちを連れてきたとき、弟子たちはこの人々を叱った。しかし、主イエスは逆にその弟子たちに憤ったと書かれている。主イエスが憤ること自体、珍しいことである。弟子たちは主イエスと旅路を共にし、主イエスと誰よりも近い関係であった。しかし、主イエスの深い御心を理解していなかったのである。子どもたちを招いて祝福をされるイエス様。神の国は、子どものようにその御国を受け入れるものに近いと宣言される。主イエスは子どもたちが大好きなのだ。
今日のテキスト(10章13節~15節)は、実はマルコによる福音書9章36節以降と組み合わせて考えると分かりやすくなる。そこでは、主イエスは子どもたちの手をとって抱き上げて言われる。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」と。主イエスはここで弟子たちに神の国がどのような者のためにあるのか具体的に教えられた。主イエスは、前もって弟子たちに子どもたちの方が神の国に近いと教えておられたのである。しかし、10章13節に移ると、弟子たちはその教えをすっかり忘れ、近づく子どもたちを叱ってしまう。弟子たちは主イエスの教えと御心を全く理解していなかったことがここで明らかになる。
イエス様って、どんな人かな。どういう風に生きて、一体何を宣べ伝えたのでしょうか。イエス様って本当に不思議な人です。なぜなら、当時のお金のない貧しい人、病気や障がいを負った人、悪霊に取りつかれて苦しんでいた人、そして、みんなから仲間外れにされていた人々に、自分から近づいていって、一緒にお食事をしたり、その病を癒したり、悩みを聞いてくれたりして、お友達になったからです。こんなナイスガイはこれまで聞いたことがありません。そして、イエス様は他の何よりも大切にした人々がいます。実は、それは子どもたちなのです。
イエス様は弟子たちに常々言っていました。子どもたちが自分のところに来るのを妨げてはならない。神様のみ国はこの子どもたちのものである、と。イエス様という人は子どもたちが本当に大好きだったのです。
しかし、その他方で困ったこともありました。それは肝心要のイエス様の弟子たちが、全く子どもたちのことを理解していなかったことです。
ある時のこと、イエス様のところに人々が子どもたちを連れてきました。すると、弟子たちは「駄目、ダメ、子どもたちをイエス様のところに連れて来るな」と、叱ってしまいました。しかし、そこでイエス様はすごいけんまくで逆に弟子たちに怒りました。「子どもたちを連れてきなさい!神様のみ国はこの子どもたちのものである」と。イエス様は今までにないくらいの勢いで弟子たちを叱ったのでした。
イエス様のみ心は神様のみ心と一つです。つまり、天のお父様も、子どもたちのことを大切に思ってくださっているのです。
みんな、神様のお恵みのうちに、今日もお友達と沢山遊んで、沢山学んで、元気に過ごしましょう。神様は、そしてイエス様は、いつも私たちのそばにいて下さり、私たちを守っていて下さいます。神様の子どもとして、今日も元気に過ごしましょう。お話はここまでになります。
(執筆: 筑田仁牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)48番「こどもをまねく」、改訂版61番「ガリラヤのむらを」。
<準備>
・B5くらいの大きさの画用紙・筆記用具
<活動>
① 画用紙を縦長に置き、上のほうに「かみさまはあなたをあいしています」と書く。
② 真ん中に自分の顔を描く。
③ 描いた顔の下に、今日のみ言葉「神の国はこのような者たちのものである」と書く。
*自分の顔ではなく、お友達同士でお互いの顔を描いて、それを交換しても良いですね。そして、神さまに愛されている喜びを分かち合えたら素敵です!
主イエスは子どもたちが大好きです。子どもたちの味方です。いつも子どもたちを招いて祝福されていました。それは、子どもたちが神様のことをいつも受け入れ、そのことによって、神様のみ国に一番ちかい存在であったからです。