● イエスさまの姿から、へりくだって後となり仕えていくことを学ぶ。
● 小さな者を受け入れ大切にすることは、神さまを受け入れ大切にすることであり、神さまもその人を大切にしてくださる。
● 第2回目の受難予告です。イエスさまの真剣な言葉に、弟子たちは恐れを抱きつつも、この中で誰が一
番偉いか? イエスさまに次ぐ順位を競い合っていました。
● 主の思いに無理解な弟子たちは不遜な議論をしていますが、イエスさまは、常に正しい道に導かれ、「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」、この世の価値観とは反対に、模範となる生き方を示してくださいました。
● 子どもを抱き上げる、イエスさまの姿は生き生きと。イエスさまは子どもが大好き。
● 子ども(パイディオン)は、知恵に乏しく、力を持たず、社会的地位もなく、弱くはかない存在。小さな人々。
5千人の給食では、女性と子どもはその人数に含まれませんでした。幼子は取るに足らない存在です。
その幼子を、イエスさまは弟子たちの間に立たせ、神と等しいほどに大切にされるべき存在であることを示されました。
● イエスさまの象徴的な行為として、まずご自分がお座りになり、弟子たちを呼び集めて座らせました。
そして、立ち上がると、子どもの手を取り、弟子たちの真ん中に立たせて、抱き上げておられます。天から降って来て、小さな人々を抱き上げ、引き上げてくださる、神の子の使命を示す行為です。
道を歩きながら、お弟子さんたちはいったい何の話をしているのでしょう。耳を澄まして聞いてみましょう。「オレはいつもイエスさまの最もお側にいるぞ」、「オレが悪霊を一番多く追い出した」、「オレだって毎日、みんなのために食事の世話をしているぞ!」、みんなで競い合っています。「あいつは怒りっぽいからダメだ」、「あいつは怠けてさぼるからな!」、今度はみんなでけなし合っています。だんだんと言葉も乱暴になり、聞いていて、何だか嫌な気持ちになりました。
カファルナウムの家に到着すると、イエスさまから「何を議論していたのか?」と尋ねられました。お弟子さんたちは、言い出しにくくて黙り込んでしまいました。イエスさまはがっかりしたお顔です。イエスさまは彼らが何を話していたのか、ちゃんと分かっているのです。そして、彼らを呼び集められました。
イエスさまの周りに座ると、お弟子さんたちは叱られると思いました。けれども、イエスさまは怒るのではなく、穏やかに口を開かれました。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」そう言って、幼子を抱き上げ、柔和な子どもの姿をお示しになりました。お弟子さんたちは恥ずかしくなりました。おごり高ぶる自分の心に気づいたのです。
イエスさまの腕の中で、幼子はキャッキャと喜んでいます。イエスさまも子どもを抱っこして、いつもより優しく微笑んでいらっしゃいます。柔和な幼子の姿を見ていると、お弟子さんたちは心の中の嫌な気持ちがすーと晴れていくのを感じました。
私たちは人よりも何かができると思うと、自分は偉いと思ってしまったり、できない人を見ると、あいつはダメだと悪く思ってしまうことがあるかもしれません。けれども、神さまはそのようには人をご覧にならないのです。イエスさまは、へりくだってすべての人に仕え、小さな者を大切にする人こそ、神さまに喜ばれ、神さまもその人を大切にしてくださると言われます。
(執筆: 小勝奈保子牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)137番「きょうだいげんかを」、改訂版15番「きょうだいげんかを」。
「一番のものが後ろになるゲーム」
①2人組でじゃんけんをし、負けた者が先頭に立ち、列車を作る。
②次に音楽が終わった後で、出会った人とじゃんけんをし、勝った方が後ろの列に並ぶ。
③何度か繰り返し、一列になったら、先頭の人が今日のチャンピオン!
※好きな音楽を流したり、♪じゃんけん列車、♪かもつ列車などの歌を歌って行っても良い。
● 比べ合って優劣をつけてしまう、それは本当に正しいの? イエスさまは何と言っているでしょう?