⚫︎ わずかなパンくずでも神の恵みは十分。
⚫︎ イエスさまの救いは、ユダヤ人にも異邦人にも人種や宗教の区別なく、すべての人に開かれている。
⚫︎ 「エッファタ」(開け)は、耳と口を開くばかりではなく、心と体を開いて天を仰ぐ者とされる。
⚫︎ 人々の口を通して、福音の喜びが証しなって宣べ伝えられ、広がっていく。
(12のカゴを想起する、満ち溢れるパンくずの恵み)
⚫︎ 喜びの奇跡です。嬉しさや驚き、感動の情感を込めて伝えましょう。
⚫︎ 2つのエピソードが日課ですので、対象児年齢や時間によって、どちらか1つを選んでもよいでしょう。
⚫︎ 「子ども」はイスラエルの民を指し、イエスさまはこの異邦人の女性を「子犬」と呼ばれました。
⚫︎ イエスさまは人を偏り見ないお方ですが、しかし、ここで先に隔ての壁を乗り越えたのは、苦しむ幼子を抱えた母親でした。
⚫︎ 彼女は「子犬」と呼ばれても反論せず、主の好意を得て、神の憐れみを引き出すことに成功しました。
⚫︎ 彼女と出会った後、イエスさまの宣教は、沿岸部のティルス地方のみならず、ガリラヤ湖の南東デカポリス地方まで足を伸ばし、異邦人の土地へ向かいました。
⚫︎ 「天を仰ぎで深く息をつき」、イエスさまの無言の祈り、霊のとりなしとして、共にうめき、共に産みの苦しみを味わう主のお姿。「神の子とされること、・・・心の中でうめきながら待ち望んでいます」(ローマ8:23)。
⚫︎ 「エッファタ」(アラム語)は「開け」の意味。耳と口のみならず、心と体が開かれていく。
⚫︎ ティルスは、ガリラヤ湖北西約60㎞に位置する地中海沿岸都市で、岩の島であった。
⚫︎ カナン語で岩をティルスと言う。紀元前333年、アレキサンドロス大王がティルス島と陸地との間を埋めてしまい、以後、ティルスは半島となった。
⚫︎ フェニキアはカルメルから北へ約200㎞、幅30㎞の帯状地帯である。悪鬼貝の紫色の染料からフェニキア人と呼ばれたことに由来する。ティルス、サレプタ、シドンは、フェニキア地方の要衝地。
⚫︎ シドンは、ティルスから北へ約40キロの港町。
⚫︎ デカポリスは、「十の都市」の意味、アレキサンドロス大王によって建てられた、ギリシャの植民地の総称。ガリラヤ湖の南東に位置する。イエスさまは広範囲に移動している。
その1
さあ、地図で場所を確認してみましょう。イエスさまはガリラヤ湖を離れてティルスにやって来られました。ここが地中海に面したティルスの町です。そこで一人のギリシャ人の女性、異邦人と出会います。
イエスさまの評判は、ユダヤの国を越えて、この地中海に面したこのフェニキア地方にも広がっていました。イエスさまは人々に知られないで静かに過ごそうと考えておられたようですが、人々に分かってしまって、大勢の人が集まって来ました。すると、一人の女性が進み出て言いました。「イエスさま、私の幼い娘が苦しんでいます。悪霊を追い出し、癒してください」。
けれども、いつものイエスさまとは何だか様子が違います。この母親の言葉を退けて、「子どものパンを取り上げて、子犬にやってはいけない」と言われました。これは何の意味でしょう。子どもはイスラエルの民、子犬は異邦人を指しています。イエスさまは、私はイスラエルの民に遣わされて、異邦人には遣わされてないと、女性の願いを退けられました。
ここで女性が腹を立て「なんて意地悪なのかしら!」、怒って立ち去っていたら、どうなっていたでしょうか?奇跡は起こらなかったかもしれません。しかし、彼女はあきらめませんでした。イエスさまは憐れみ深く善良なお方で、必ず助けてくださると信じたのです。「主よ、でも、食卓の下の子犬も、子どもの食べ残したパンくずを、おいしそうに拾って食べます」。
彼女のへりくだった見事な答えに、イエスさまも関心されました。そして、幼い娘をお癒やしくださったのです。イエスさまは慈愛に満ちたお方です。そして、神さまへの祈りは必ず聞かれます。すぐに答えが返ってこなくても、最も良い時に、最も良い答えが、行く先にちゃんと用意されているのです。
イエスさまは異邦人の中にも、このように救い主の助けを求めている人がいることを知って、ここから、北のシドンへ、更に、ガリラヤ湖南東のデカポリス地方へ、足を伸ばしてみることにされました。
その2
イエスさまは、北のシドンを通り、ガリラヤ湖の南東デカポリス地方を巡り歩いて、再び、ガリラヤ湖へ帰って来ました。みんなイエスさまの帰りを、今か今かと待ちわびていました。「あっイエスさまだ!イエスさまが帰って来たぞ!」。
そこへ、ある人たちが耳が聞こえず舌の回らない、聴覚と言語に障がいを持つ人を連れて来て、彼を癒してほしいと願いました。彼のお友だちでしょうか?家族でしょうか? イエスさまのところへ人を連れて行くことも、とても大切な役目、働きですね。
イエスさまは、この人の両方の耳に、指を差し入れ、それから、唾をつけてその舌に触れられました。そして、天を仰いで、深く息をつき、「エッファタ」と言われました。「エッファタ」はイエスさまが実際にお話になっていたアラム語で「開け」という意味です。イエスさまは「開け」と言って、その人の耳と口を開いてくださったのです。
「エッファタ」「開け」、何と素敵な言葉ではありませんか? イエスさまを信じる人々によって救いは開かれていきます。ギリシャ人の女性を通して、異邦人への宣教が開かれました。また、この人の場合も、そう信じる人々がイエスさまのところへ連れて行き、この人の耳は開かれました。
しかし、何と言っても、イエスさまです。イエスさまの「エッファタ」「開け」は、耳と口を開くだけでなく、心を開いて、この奇跡を目の当たりにした人々の唇を開いて、皆が神の栄光をほめたたえています。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」。すべての人々を、天の神さまに向けさせ、その心を開いてくださったのです。神の子とされたのは、救われたこの人だけではありません。見た人、聞いた人、みんなの心を開いて、今も伝え聞いて、私たちの心も開いてくださって、さあ、みんなで一緒に言ってみましょう。「この方のなさったことはすべて、すばらしい」。イエスさまを喜び、神の栄光をほめたたえましょう。
(執筆: 小勝奈保子牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)1番「みんなでたたえましよう」、改訂版8番「みんなでたたえましよう」。
「エッファタ ゲーム」
◎高学年
①子どもはひとりひとり聖書を手にしておく。また聖句とその聖書個所を書いたカードを数枚用意し、裏返しにしておいておく。
②先生が「エッファタ(開け)!」と言いながらカードを開き、子どもたちは出た聖句の箇所を開く。
誰が速く聖書を開くことができるでしょうか。
◎中学年
動作に惑わされないように、よく言葉を聞くゲーム。
(例)先生は「エッファタ、手!」と言いながら足を開いたりする。先生の動作につられないで正しいポーズをする。
※初めは言葉と動作を合わせて、その後変えていった方が、どの子どもにもわかりやすそう。
◎低学年
身体の一部(目、口、手など「開く」ことができる部分)を書いたカードを作り、裏返しておいておく。
先生はカードをめくりながら「エッファタ」と言い、それに合わせて絵と同じ、体の一部(目、口、手など)を開いてポーズ。
※カードをめくる作業を子どもが順番にするのもよい。
⚫︎ わずかなパンくずでも、神の恵みは十分。でも、恵みは増えたよ。どのように増えたかな?
⚫︎ イエスさまのところへ、連れて行ってあげたいと思う人はいますか?