主イエスの命を分けあって生きる
どれほど小さなものであったとしても、イエスさまは喜んで下さることを伝えていく。
1 「五千人の給食」の話は、ヨハネ福音書では「過越祭の近く(4節)」に起きたと記されている。これは、旧約聖書でモーセに率いられたユダヤの人々が、荒野でパン(マンナ)を食べたことを想起させ、その出来事を「給食」のパンと重ね合わせることを意図している。ねらいとしては、「イエスが分けてくださる力(元気)をもとに生きていく」ことを示唆させるために、ヨハネ福音書は「過越祭」と給食を重ねているものと考える。
2 また「五千人」とはあくまでも「男たちが座った(10)」数を数えてのこと。現実的には、「大勢の群衆(2)」の内訳は、男性だけではなかったことは想像できる。現実的な数としては1万人以上の人々か。
3 しかし、その奇跡の端緒は「大麦のパン」であり、イエスは「少ない(そして粗末な)」ものを用いる。
1 200デナリオンとは金銭の単位。1デナリオンは、労働者の一日分のお給料となっている。当時と現代の貨幣単位を単純に結びつけることは出来ないが、この単位のお金を法貨に直せば、200デナリオン=100-200万か?
2 この100-200万円に相当する量のパンとは、どれくらいの分量になるのだろうか。計算してみると興味深い。
3 「小麦」はグルテンを含み、パンをふっくらとさせる。一方で「大麦のパン」とはその成分を含まず、パンを固くさせてしまう。しかし今日の健康志向の中で、グルテンを含まない大麦パンは販売されている。
1 食パン、一回の食事で何枚食べられる? 10人分のパンは何枚だろう。1万人分のパンは何枚だろう。聖書の話をします。イエスさまから話を聞きたい人たちが、大勢集まってきました。聖書には、男の人だけで5000人とあります。もしも、子どもや女の人がこの場所にいたとして、合わせて何人くらいの人がいたのかな?」
2 イエスさまのお弟子さん、フィリポは、200万円ぶんのパンが必要だと考えました。たくさんのお金を持っていたかは分かりません。アンデレは、自分の家族用のお弁当を持っていた子どもを見つけてきました。お弁当の中身は、大麦パンと魚でした。大麦パンは、食パンではなく硬いパンで、フカフカではありません。
3 イエスさまはそのパンと魚を見ました。たくさんの人に分けるのはどう見ても十分ではありませんでしたが、イエスさまは、パンと魚があることを神様に感謝します。するとパンと魚が増え始め、そこにいたたくさんの人が食べて満足出来ました。余ったパンを集めると、まだなんと12のかごにいっぱいとなっていました。
4 どんな小さなものでも、神さまやイエスさまにお捧げするときに、それは大きくなって、必要なところのために用いられます。そして実はイエスさまの時代、大麦はあまり上等なものではありませんでしたが、イエスさまはそれを美味しいものに替えて下さいます。小さな力でも、神さまと困っている人のために使いましょう。
(執筆: 水原一郎牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)107番「イエスさまって」、改訂版54番「ガリラヤのかぜかおるおかで」。
〈用意するもの〉
•ハンカチ
◦二人ペアになって一人は目を閉じる
◦もう一人が声だけで誘導し、教会の中や危険でなければ外の一定の距離を歩いてみる。
◦次にハンカチでお互いの手を結び、声でも誘導しながら一緒に歩く。
◦目を閉じる人と誘導する人を交代して同じようにする。
◦声だけで誘導した時とハンカチで繋がっていた時との違いをそれぞれ話し合う。
私たちとしっかり手をつないで歩いてくださる神様を思い、みんなでお祈りしよう。
1 能登地震やイスラエル・パレスチナ紛争、ウクライナ事変の中で、出来ることを考えさせてみる。