神の哀れみに預かって生きる
一生懸命に生きている子どもたちへ、教会(それぞれの施設)が休む場所となっていることを伝える。
1 「使徒たちがイエスのところに集まってきた(30)」ことの背景は、6章6節「12人の派遣」にある。イエス・キリストによって各所に出かけるように命じられた弟子たちは、その働きを終えて帰ってきた。
2 「教えや行い」を報告した後、イエスは弟子たちに「人里離れた所で休みなさい」と伝える。働きの内容に応じてではなく、働いたこと、帰ってきたこと、そして今ここにいるということが休みの対象となる。
3 そもそも弟子たちに命じられた働きは「病をいやす」ことだった。その働きは弟子たちにとって、緊張や疲労を伴うものであったかと思う。それぞれの思いをイエスは聞き、そして休みなさいと伝えている。
4 「飼い主のいない羊」は、どのような意味なのか。子どもたちに聞いて、考えさせても良い。
1 34節の「深く憐れみ」とは、日本語では「断腸の思い」となる。
2 沖縄の言葉では「ちむりぐさ」となる。「誰かの痛みを思い、自分自身の心もまた痛む」という意味。
1 イエスさまのお弟子さんたちが、帰ってきたところから話は始まります。出かけていたお弟子さんたちは、いろいろなご病気の人たちを治す仕事をしていました。上手にできたことも、失敗したこともあったかと思います。イエスさまは、その一つ一つを聞いて、お弟子さんたちがどれだけ頑張ったかということが分かりました。
2 「誰もいないところで、休みなさい」とイエスさまはお弟子さんたちに言われます。ところが、お弟子さんたちが休もうと出かけると、その様子が分かってしまいました。イエスさまやお弟子さんたちに話を聞いてほしい、体を治して欲しいと思う人たちが、そのあとを追いかけました。これではお弟子さんたちは休めません。
3 イエスさまが、自分たちを追いかけてきた人々を見ると、「飼い主のいない羊」のようでした。これはどういう意味でしょう。「自分たちを守り、助けてくれる人がいない」心細い様子を意味していると言えます。イエスさまは「いろいろと教えた」とあります。「神さまは、いつでも一緒にいるから大丈夫」という意味です。
4 その時のイエスさまのご様子は「深く憐れまれた」とあります。心細く、傷ついている人たちを見て、イエスさまの心も痛んだのです。誰もが、とても忙しくしていると思います。心や体が傷ついているということもあると思います。そのような私たちを見て、イエスさまがお気持ちを重ね「大丈夫」と言われることを覚えましょう。
(執筆: 水原一郎牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)120番「どんなときでも」、改訂版129番「どんなときでも」。
•リーダーを1人决める。
•リーダーに従ってみんな行動する。
ただし行動していいのはリーダーが「羊飼いが言いました」と付けた時だけ。
•「羊飼いが言いました」を付けたり付けなかったりしてゲームを楽しんでみよう。
例)「羊飼いが言いました。立ちましょう。」等
•リーダーの言葉をしっかりと聞いて、従っていこう。
今日から始まる1週間を、私達の羊飼いであるイエス様がいつも見守っていて下さることに感謝して安心して過ごしていこう。
1 忙しかったり、疲れた時に、何をすれば休まるな、って思いますか。
2 自分が何を忙しいと思うのか、3つ挙げて話してみましょう。他の人の忙しさも聞いてみましょう。