「教会学校や幼稚園、保育園、こども園はみんなの居場所」が伝わっていくことを目指す。
1 ナザレ村とは、イエス・キリストの出身地であり、育った村。クリスマス物語のベツレヘムは、誕生した場所。
2 これ以前の聖書箇所では、イエス・キリストは「病癒し人(医師)」として働いた。マルコ5:1、21~
3 ナザレの人々はイエスの語ること(例:マルコ1:15~ 神様が一緒にいるよ)を聞いても、受け入れない。
4 イエス・キリストは、聞き入れない人々の姿に「驚いて」も、働きを続けられる。
1 イエス・キリストの初期の活動は「病癒し(医師)」という記載がある。知見に基づいた医術行為ではなく、患者の心を支える働きが大きかった。「神様が一緒にいて、力づけてくださるよ」という指針を伝えた。
2 なぜそのようなイエス・キリストの「病癒し(医師)」の働きが受け入れられたか。当時は、病は(病の種類にもよるが)神様の罰という形で考えられていた。旧約聖書レビ記13章、レビ26:16~を参照のこと。
3 「神様の罰」としての病が認知されていた世間で、「神様の支え」が人々の心に受け入れられていった。
1 「受け入れられない」「外される」「仲間に入れてもらえない」そういう経験は、私たちの心を傷つけると思います。今日の聖書でイエスさまは、自分のふるさとに帰りました。これまでイエスさまは、実家以外の町や村で、お医者さんとして働いていました。注射をするとか、薬を塗るとかではありませんでした。ご病気の方々に、「神さまが一緒にいるから、大丈夫」と伝えていました。聞いた人たちは安心して、病気が治るのでした。
2 ふるさとに帰ったとき、イエスさまは神様の話をされました。内容は書いていませんが、前の箇所を参考にすると「神さまはみんなのすぐそばにいるよ」という話と思います。けれど、ふるさとナザレの人たちはイエスさまの語ることに驚きました。子どもの頃から知っているイエスさまが、神さまのことを「不思議に」言うことが面白、おかしかったのです。お話しているイエスさまのことが「不思議」なので、からかい始めたのです。
3 今、皆さんにとって、神さまはお優しくて助けて下さる方と思います。でもイエスさまの時代は、神さまはかなり怖い方として語られていました。イエスさま以外の、他の聖書の先生(律法学者)たちは「怖い神さま」を語っているのに、イエスさまは「すぐそばで、優しくして下さる」神さまを語ったことが変に映ったのかもしれません。それが、ふるさとナザレの人々にとって「不思議」なことだったのです。
4 イエスさまは、小さいときは一緒だったナザレの人たちから、「受け入れられない」「外される」「仲間に入れてもらえない」ことになりました。でもイエスさまは、そういうことがあっても、他の村や町で、つらくてしんどい思いをしている人たちと、一緒に食事をしたり、仲間になっていきました。そういうイエスさまのお気持ちを大事にするのが、この教会(幼稚園、保育園、こども園)です。イエスさまや先生は、みんなの味方です。
(執筆: 水原一郎牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)63番「あさひうけて」、改訂版127番「あさひうけて」。
〈用意するもの〉
•官製はがき又はハガキくらいの大きさの画用紙等
みんなでどんな聖句があるか出し合う。
聖書の中からでも良いし、今までもらったみことばカードから探しても良い。
◦それぞれ自分が選んだ聖句をハガキや画用紙に書いて、色を塗ったり絵を描いたりする。
◦宛名を書いて一緒にポストに投函したり、持ち帰って大切な人に送ったり渡したりする。
神様に遣わされた一人として、たくさんの人に神様の愛や言葉を伝えて歩んでいくことができるようお祈りしよう。
つらい経験を話せる場所はありますか?
知り合いがそういう状況にあったら、何ができるでしょうか?