2024年6月30日 聖霊降臨後第6主日
マコ5:21〜43 哀3:22〜33 2コリ8:7〜15

今週の聖句

「「タリタ、クム」「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」」
マルコによる福音書5章41節

ねらい

深い痛み苦しみの中にある「信仰」のちから。

説教作成のヒント

 自分の愛する子どもをなくした親の悲しみがここにあります。福音書にはヤイロという会堂長がでてきます。イエス様に敵対している人が多い中、彼は自分の娘の癒しを懇願します。ここに「信仰」をみます。イエス様はその願いを聞かれてヤイロの自宅に向かうのです。ところが途中で娘が死んだという知らせを聞きます。望みが奪われたあと人はそれでもイエスに従うかどうかです。

 イエス様は「恐れることはない。ただ信じなさい」といわれました。イエス様は娘の命が終わりでないことを知っておられます。さらに神はその娘を立ち上がらせることができるのです。深い苦しみ、悲しみの中にあっても神様を信じることによって希望が耐えられる。必ず立ち上がることができる。「タリタ、クム」というアラム語が残りました。イエス様の言葉には力があります。

豆知識

アラム語はアッシリア、バビロニア、ペルシアで用いられていた。ギリシア支配時代以降ヘブライ語は聖書その他の宗教文書に用いられ、一般にはアラム語が日常化していった。イエス時代のパレスチナではアラム語が用いられていた。福音書記者はイエスの語られた言葉の中に、ごく少数ではあるがギリシア語と並行してアラム語を保存している。「タリタ・クム」(マルコ5:41)「エッファタ」(同7:34)「アッバ」(同14:36)「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(同15:34)がそれにあたります。

説教

忘れられない言葉ってありますか?その言葉はどんな時に聞いた言葉ですか?その言葉はあなたを元気にしました?私たちは言葉を毎日聞いています。また話しています。でもその中で残る言葉と残らない言葉があります。神様の言葉は毎日残っていく言葉です。

今にも天に召されそうな子どもをもったお父さんがしました。人々の中ではとっても偉い会堂長でした。どんなに偉くても子どものことで悲しんでいました。誰に相談していいのか。そこにイエス様がやってこられました。みんなはイエス様が病気を治してくれても、人々はイエス様を神と認めず攻撃や批判ばかりしていました。でも子どもが心配な会堂長はイエス様に病気を治してほしいと頼みます。イエス様ならきっと治してくれると信じたのです。ところが子どもの所に行く途中で子どもが天に召されたことを聞きます。

みなさんならどうしますか。なぜもっとはやくイエス様が来てくれなかったのかと嘆くでしょうか。でもイエス様は「信じなさい。こどもは死んでない」と言われました。そして子どもの所に行き「タリタ・クム」と言われました。「娘よ、起きなさい」という意味です。聖書の中でもイエス様が話されていた言葉を書いてあるところは2カ所しかありません。なぜここにイエス様が話しておられたアラム語が書いてあるのでしょう。きっとこの言葉が周りの人たちに元気と勇気、信じる心を与えたからでしょう。忘れられない言葉としてのこしておきたかったのです。

「娘よ、起きなさい」。皆さんには「タリタ、クム」ってどうな言葉に聞こえますか。悲しんでいる時、苦しんでいる時に聞こえてくるイエス様の言葉として聞こえますか。イエス様はみんなにも私が共にいるから「起きなさい」元気になりなさいと聞けてきませんか。

(執筆: 立野泰博牧師)

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

旧版(1987年版)7番「イエスさま きょうもわたしを」、改訂版118番「イエスさまとよんだら」。

やってみよう

☆「タリタ、クム」(アラム語)少女よ、起きなさい。起きた少女に声を掛ける。

時々聖書には、イエス様がアラム語で語った言葉が出てくる。イエス様の話し言葉だが、それは、私たちのあまり聞かない言葉である。

世界には、いろいろな言葉が使われている。それぞれの国の言葉を用いて、起き上がった少女に、おはよう!と声をかけてあげよう。(誰かを少女に見立て、寝ているところを「タリタ、クム」と言って起こして声掛けしてもよい。)


いろいろな国のおはようの言葉は、例えば、英語→グッドモーニング/イタリア語→ボンジョルノ/フランス語→ボンジュール/ドイツ語→グーテンモルゲン/中国語→ツァオ・アン/韓国語→アンニョンハセヨ…等々。ほかにも調べてみよう。

はなしてみよう

あなたにとって忘れられない言葉は何ですか?どうしてそれが忘れられない言葉になりましたか。