イエス様って何者か。何の力によって人を解放されるのか。
「イエス様とは何者か」。それを理解することは大変難しいことです。人々は「イエスは気が変だ」と理解したようです。ましてイエス様の家族が理解することはかなり難しいことでした。
身内ですから。イエス様が理解できなかったのは律法学者たちも同じでした。ただイエス様が悪霊を追い払っていることは認め驚いていました。それが神様の力とは認めませんでした。
どうして神様の力と認められなかった。自分たちの考えに固執して目の前のイエス様を受け入れることが出来なかったのです。それは神様の霊の働きを認めないことでした。
ベルゼブルって何?は、もとは「バアル・ゼブール」と言われ、ペリシテ人の町エクロンの偶像神の名称でした。その意味は、「宮殿の主」でした。ユダヤ教のラビたちは、その名称をやゆ揶揄して、「バアル・ゼブブ(あるいは、ベルゼブブ)に変えました。その意味は、「蝿の主」ということです。新約聖書では、「ベルゼブル」という名称は、悪霊のかしら(サタン)を指す名称として用いられています。
こんなお話があります。イエスさまがある村へ入られると、口が耳まで避けた恐ろしい悪霊が住んでいました。イエスさまはそこへ出掛けていき悪霊と対面されました。悪霊は質問をします。そして、もし答えられない場合は命をいただくと脅します。 その質問とは「この世で最も価値のある宝はなにか」です。あなたならどう答えますか。イエスの答えはこうです。「私の言葉を信じることこそ最も価値のある富である」。この説話の面白いところは、イエスさまが質問に答えられると、悪霊の口が小さくなってきて普通の人間になり、最後にはイエスさまに従うということです。悪霊の力っていったい何でしょうか。それはみ言葉を信じる力をなくさせることです。もっというなら、その人に与えられたみ言葉を取り上げてしまうことです。私たちにとってみ言葉を取り上げられることほど無力になることはありません。それは生きる目標を無くしてしまうからです。イエスさまのみ言葉は私たちの命です。その命をとり去るのが悪霊の力、生かすのがイエス様のちからです。ですからイエス様は悪霊の頭ではりません。
今日の聖書でイエスさまは悪霊の力で悪霊を追い出しているといわれています。きっとまわりのみんなはイエスさまが誰かわからなかったのでしょう。イエスさまのみ言葉を受け入れない律法学者さんたちはイエスさまの力がどこからきたのか理解できなかったです。だから自分たちが分かるように勝手にイエスさまを悪霊の頭と呼んだのでしょう。自分たちがイエスさまを信じられないから、み言葉が理解できないから、勝手に自分勝手にわかったつもりでイエスさまを攻撃してきました。でもイエスさまはそれを知ってきちんと自分はサタンではないことを教えられました。すべては神さまの力なくしてはできないことがどうしてわからないのかと。
みなさんはどう考えますか?イエスさまの力は神様の力?悪霊の力?皆さんはイエスさまのみ言葉を信じ従っているから神様の力がよくわかるはずですよね。
(執筆: 立野泰博牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)123番「かなしいときにも」、改訂版131番「かなしいことがあっても」。
<用意するもの>色の違う風船 1人2個、マジック
・どちらかの風船(ここでは白)にニコニコの顔を、もう一つの風船にイジワルな顔を描く。ニコニコ顔は、神さまに従う心に、イジワル顔はわたし達を神さまから引き離そうとするサタンに見立てる。さて、みんなに質問です。こんなときニコニコ顔ならどうする?イジワル顔ならどうする?
1. 疲れて電車で座っているときに、おじいさんが乗ってきた!
2. 意地悪されている友だちを見た。声をかけようかな・・どうしよう・・・。
3. 落とした荷物が散らばってしまった人を見かけた。急いでいるんだけど・・。
4. 友達の悪口でみんなが盛り上がってる。
こんなとき私たちの心の中に膨らんでいるのはどちらの色の風船だろう?どちらの色の風船を膨らませたい?1つの心の中で2つの風船を膨らませたりしぼめたりしながら心の動きをみんなで考えてみる。
※今、ここにイエス様がいたら、どうさなさるだろう。神様は何を喜んでくださるかな。
イエス様の力ってどのくらい強いのかな。