神に愛された者として人を愛する。
・イエス様は私たちに「互いに愛し合いさない」と教えられました。これは私たちにとってとても大切な教えです。
・しかしイエス様は私たちに無理やり愛をひねり出すことを要求しているわけではありません。
・そうではなくて、「神に愛された者として人を愛する」ことが私たちのつとめであるのです。神様の愛をよく知り、それによって自然と自分も人を愛するようになるということがイエス様のおっしゃる「愛」なのです。
・15:10でイエスは「わたしの愛にとどまりなさい」と教えられる。イエスの愛にとどまるとはつまり、イエスの掟を守ることを意味している。第二朗読である第一ヨハネ5:3~4に「神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」とある通りである。イエスは掟を守ることの手本をご自分の生涯においてはっきりと示された。イエスはいかなる時も父の掟に従い、それによって父の愛
にとどまられたのである。
・15:12でイエスは「互いに愛し合いなさい」と教えられる。すでに13:34~35で「あなたがたに新しい戒めを与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたが私の弟子であることを、皆が知るであろう。」と言われているとおり、これこそがイエスによる「新しい戒め」であり、イエスの弟子であることを示すしるしである。しかしこれは単なる博愛主義や自己犠牲の奨励ではない。「わたしがあなたがたを愛したように」とあるように、イエスに属する者たちは、同じ愛を既にイエスから受けている。「神に愛された者として人を愛する」ことが弟子たちのつとめなのである。
イエス様はみんなに「互いに愛し合いなさい」と教えておられます。「互いに愛し合いなさい」というのは、周りの人と仲良くしましょう、おともだちやおうちの人を大事にしましょう、ということです。
きっとみんなは普段から、おともだちに優しくしたりおうちの人によろこばれることをしたり、色々なことをしていると思います。それはみんなが周りの人に愛をあげているということです。イエス様はそうやってみんなが周りの人に愛をあげているところを見て、よろこんでおられます。
みんなは周りの人に愛をたくさんあげているけど、その愛はどこからくるのか知っているかな?例えばこのおりがみは先生がお店で買ってきてみんなにあげたものです。でも愛はどうやってあげるのかな?愛ってお店に売ってないよね。優しい気持ち、お手伝いする気持ちも売ってないよね。なのにどうして人にあげられるのでしょうか。
それは、神様が、みんなが寝ている間に、みんなの心の中に愛をたくさん置いていってくれるからです。神様が、みんなの心の中に優しい気持ちをたくさん置いていってくれるからです。だから、みんなはその愛をおともだちやおうちの人にあげることができます。そのことを今日イエス様は言っています。
神様の愛はお店に売っていません。それは売り物じゃなくて、ただでもらえるものです。神様がくれる愛はたくさんあって、毎日もらえて、世界中みんなの分あって、絶対になくなりません。愛をたくさん使っても、また神様が愛をくれます。
だから神様からの愛は、人に配ってもいいけど、みんなが自分で使っても大丈夫です。神様はみんなに向かって「あなたのことが大好きだよ」「いつもあなたの味方だよ」と言っています。自分に優しくすることは、周りの人に優しくするのと同じくらい大切なことです。神様からたくさん愛をもらって、自分にも周りの人にもたくさん愛をあげましょう。
(執筆: 森下真帆牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)51番「わたしはしゅのこどもです」1,2節、改訂版132番「きみがすきだって」。
①輪になって座る。
②順番を決め、隣の人に「愛してるよ」と心をこめて言う。
③言われた人は「ありがとう。私も愛してるよ」と答え、次の人に「愛してるよ」と言う。
④途中で笑った人は、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と言って真ん中に座る。
⑤2周目からは、表現を変えて「愛してるよ」の気持ちをそれぞれオリジナルで伝える。
⑥最後まで笑わなかった人の勝ち!
※来週は、母の日です。教会学校参観日も良いですね。お母さんに案内を作ってみましょう。
・先週みんなが人にあげた愛は何ですか?
・先週みんなが人にもらった愛は何ですか?
・神様からの愛を感じたことはありますか?