イエスさまを直接裏切った弟子たちが、本当の意味で「ゆるされる」ためには、それは再びイエスさまに出会うことでしかできないことでした。イエスさまは、神さまにゆるされるはずがないと思い込んでいる弟子たち、そして私たちのために復活してくださったのです。
イエスさまの復活という出来事は、子どもたけでなく、大人である私たちにとっても不思議な出来事ですし、にわかに信じられない出来事です。だからイエスさまが復活されたのは、何のためなのかという視点でお話を組み立てることが大切だと思います。
・マルコによる福音書は16章の8節が終わりだったと考えられています。となりますと、8節では婦人たちが「震え上がり、正気を失った」という言葉が福音書の最後の言葉となり、いわばイエスさまの復活をマルコはこのように描いたということになります。だからイエスさまの復活は、「震えが上がり、正気を失う」ほど私たちには信じがたく、驚くべきことだということになります。また、出来事が弟子たちではなく、婦人たちに伝えられたことも印象的です。
・もう一つは、7節で天使が『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちに告げるのも印象的です。弟子たちは、イエスさまと最初に出会ったガリラヤで復活されたイエスさまと再会します。この再会によって弟子たちは、ふたたびイエスさまに従う者とされていきます。
今日はイースター、イエスさまの復活をみんなで喜ぶ日です。
イエスさまは十字架につけられた後、預言されていた通り3日後に復活なさいました。けれども弟子たちも、婦人たちも、誰も、そのことを信じてはいませんでした。だから婦人たちは、イエスさまのお墓にいってご遺体に油を塗りなおすために出かけていきました。イエスさまは死んでお墓にいると彼女たちは信じていたのです。
しかしお墓にいくと大きなお墓の前の石が動かされていて、イエスさまのご遺体は、そこにはありませんでした。大切なイエスさまのご遺体がなくなってしまって、女性たちは驚き、戸惑ったことでしょう。しかも、それだけではなくて、そこには長い衣を着た若者がいて、「イエスさまは、ここにはいませんよ。あなたたちに約束をしていた通り、あなたたちが最初にイエスさまに出会ったガリラヤに先に行かれています。そこであなたたちはイエスさまお会いになることができるでしょう」と言いました。
私たちは、ここでイエスさまが悲しんでいる女性たちのためによみがえってくださったと思い、ああ、よかったと思うのではないでしょうか。しかし女性たちは、嬉しいどころか「震え上がり、正気を失ってしまった」と書かれています。そうなのです。イエスさまの復活に出会うということは、びっくりすること、驚くべきことだということを覚えたいと思うのです。私たちの想像や、私たちの予想をはるかに超える出来事がイエスさまの復活の意味なのです。
そして、この驚きは私たちの毎日の生活の中に隠れています。すべてのことは当たり前のことではないのです。私たちがたくさんの人たちの支えの中で、守りの中で「生かされている!」という驚きの心を持つ時、私たちは確かに復活のイエスさまに出会っているのです。
(執筆: 滝田浩之牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)40番「よあけのほしが」、改訂版86番「よあけのほしが」。
☆イースターのしおりを作ろう
・用意するもの;書くもの、画用紙(長方形だけでなく、卵型やとり型、うさぎ型などにしても可愛い)、リボン、穴あけ(先に画用紙にあけておいてもよい)、ブッカーやラミネート
①好きな画用紙に今日の聖書個所から好きなみ言葉を書く。
②裏面に好きな絵を描いたり、名前を書く。
③ラミネートやブッカーをする。穴をあける。
④好きな色のリボンを通して完成。
・イエス様が復活された嬉しい記念に作ってみましょう。
・私は支えられ、守られているという実感を持つことができているでしょうか。
・平凡な毎日の生活の中で、考えてみれば「驚くべきことだな」と思えることは何でしょう。