2024年3月17日 四旬節第5主日
ヨハ12:20〜33 エレ31:31〜34 ヘブ5:5〜10

今週の聖句

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」
ヨハネによる福音書12章24節

ねらい

私たちに「命」が与えられているのはなぜでしょうか。それは私たちが神さまから命を頂いていることを感謝し、そしてお友達と共に喜んで生きるためです。

説教作成のヒント

私たちは決して一人では生きていけません。畑を耕して野菜やお米を作る人、機械を作って便利な道具を作ってくれる人、病気になったときはお医者さんや看護師の方がいなくては、私たちは毎日の生活にも困ってしまいます。一人一人が、隣人のために生きるから、私たちはお互いに生活をすることができるのです。イエスさまは、私たちに十字架の上で「命」を与えてくださり、私たちが一人では生きることができないことを教えてくださったのです。

豆知識

・ギリシャ人がイエスさまのところに訪ねて来られた時の出来事でした。イエスさまは、このギリシャ人には、まだお会いにならずに、フィリポにご自分が十字架において「命」を私たちに与えてくださる決意について語られています。ギリシャ人は聖書の中で異邦人であり、すべての人にイエスさまの「命」が与えられるのは、イエスさまの十字架の死と復活の出来事が決定的な時の節目となるということを私たちに教えています。

説教

2020年から始まった、コロナという感染症のことをみんなは覚えているでしょうか。3ヶ月近く、私たちは学校がお休みになり、自宅で生活することが求められました。

しかし、そんな中でもスーパーで働く人たちや、病院では働く人たちは、人と人が会うことによって感染が広がる病気の中でも、私たちの生活のために働いてくださいました。世の中では、このような人たちを「エッセンシャルワーカー」と呼んでいました。エッセンシャルという言葉は、必要不可欠という意味です。どんなことがあっても、なくなってはならない仕事を担う人たちがいたことを私たちは覚えていると思います。

私たちは普段の生活の中で、コンビニがあったり、スーパーで買い物したり、ネットで買物をすると誰かが届けてくれるということを当たり前のように思って生きています。けれども、そういうお仕事をしてくださる人がいるから、私たちは「命」を守られているということを、コロナは私たちに教えてくれたのではないでしょうか。

イエスさまは、ご自分の「命」を私たちに与えてくださるということを通して、私たちにそのことをいつも教えてくださるのです。私たちは一人では生きていけないのです。たくさんの人に助けてもらい、守ってもらわなくては生きていけません。

そして一番大切なことは、私たち一人一人の「命」も神さまの目から見れば、エッセンシャルな命、つまり必要不可欠な「命」だということです。イエスさまの十字架は、私たちにそのことを繰り返し、繰り返し伝えています。そして私たちも精一杯、与えられた「命」を用いて喜んで人と共に生きることをイエスさまは私たちに求めておられるのです。

(執筆: 滝田浩之牧師)

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

旧版(1987年版)37番「じゅうじかのうえの」、改訂版49番「かみさまはそのひとりごを」。

やってみよう

☆人間イス ゲーム

・用意するもの:広い場所


①輪になって並ぶ。その際、全員同じ方向を向くようにし、手は前の人の肩を持つ。

(人の間隔は狭いほうが成功する)

②「せーの」の声掛けで全員しゃがむ。後ろの人の膝に座る。

③余裕があれが肩に乗せた手を放してみる。


・このゲームはひとりが欠けてしまうと成功しません。

・同じように、必要ない命なんてありません。みんな大切な命。

はなしてみよう

・この世の中で、エッセンシャルではない仕事はあるでしょうか。

・私は必要ない人間だと思うのは、どんな時でしょうか。