イエスはわたしたちを知り、その祈りに耳を傾けてくださることを知る。
すると、私たちは神との真実な出会いへと導かれることを味わう。
・フィリポがイエスに招かれてすぐにナタナエルへそれを伝えた(伝道した)ように、自分をイエスに繋いでくれた存在があること、さらに誰もが誰かをイエスとの出会いを結ぶ役割を担えるという視点でも作成ができると思います。
・今回はイエスがわたしたちを知っていてくださるという点に絞っています。
・51節の「天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りする」は、創世記28:12に記されたヤコブの見た夢の出来事の引用である。ヤコブは父を騙し、兄を出し抜いたことから逃亡を余儀なくされるが、石を枕に見た夢は、神の祝福であり、「神はいつも共にいてくださる」との信仰の原点となった。また「教会讃美歌」471番はそれを歌うものである。
・アンデレ、ペトロ、フィリポの出身地であるベトサイダは「漁師の家」という意味である。
イエスさまはナタナエルが「いちじくの木の下にいるのを見た」と言いました。ただ顔を見たのではなくて、ナタナエルという人とその心の中にある、神さまを求めて生きる姿を見たのではないかと思います。ユダヤ人は神殿以外で祈る時に木の下で祈ったそうです。イエスさまは祈るナタナエルを見たのです。イエスさまはナタナエルや私たちの祈りを知る人です。私たちがそれを知っているかどうか、信頼しているかどうか、感謝しているかどうかに関わらず、イエスさまは私たちの祈りを知っているのです。
インドにこんなお話があります。「一人の若者が悪いことをして牢屋に入れられてしまいました。罰金を払えば出ることができるのですが、家は貧しく、お金を用意することができません。それでお母さんは、毎日たくさんの仕事をしました。それも石を運ぶという大変な仕事でした。うまく行かなくて失敗し、けがをすることもありました。疲れ果てて倒れてしまうこともあり、体のあちこちにあざができました。でもついにお母さんは必要なお金を貯めて、大喜びで息子を迎えにいきました。若者は『お母さんありがとう』と言って近づいて来ました。ところが、かつてはすべすべだったお母さんの手はでこぼこになり傷ついて、また体のあちこちに黒いあざができていることに気がつきます。その理由を聞いた時、若者は傷ついたお母さんの手を握って、大泣きしました。そして二度と悪いことはしないとお母さんに誓いました」
このお母さんの姿から、イエスさまがナタナエルと私たちに何をしてくださるのかを考えることができます。イエスさまは心の奥にある祈りを聞いてくださいます。ナタナエルや私たちがそれを知らなくても、イエスさまはただただ私たちを大切にしてくださるのです。そして一緒にいようとイエスさまの方から来てくださるのです。それを知った時、ナタナエルは神さまに会っているとわかり人生が大きく変えられました。私たちも新しい一歩を歩みだすことに導かれます。
(執筆: 安井宣生牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)53番「しゅにしたがいゆくは」、改訂版119番「しゅにしたがうことは」。
<用意するもの>
画用紙、ハサミ、ペンなど
① 12弟子の名前は、ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、トマス、もう一人のヤコブ、タダイ、シモン、イスカリオテのユダ
一人ずつ名前を書いて12枚のカードを作る。
② カードを一人一枚づつもらい、弟子の名前を覚える。
③ 自分の名前、学年、好きなもの何でも、今年のやりたいこと…など、項目をあらかじめ決める。
④ 初めの人は、例えば、ペテロのカードを持っていたら、「ペテロの**です。(**は自分の名前)学年は…」と、自己紹介する。
⑤ 次の人は、「ペテロの**さんの隣の、アンデレの##です。…」と続く。
※ もし、子供たちが、12人に満たない時は、ひとり、2人の弟子のカードをもらってもいい。12人より多いときは、カードを終わった人が回してあげる。
⑥ 12人の弟子の名前とお友達の名前を言えたら終わり。
後のほうの人は、大変なので、みんなで助けてあげよう。
・イエスさまが私を知っていてくれると聞いて感じたことを話してみよう。
・自分をイエスさまに結びつけてくれた人やできごとは何か考えてみよう。