一番助けを必要としているのは誰なのか?考えましょう。
いつか私たちが人生を振り返り、出来たことと出来なかったことを考える時が来ると、キリストは言われます。
その時評価されるのは、意識しないで「小さな助け」を惜しまなかった人たちです。
「靴屋のマルチン」というお話を知っていますか?ぜひ読んでみてください。「最も小さい者」がどんな人たちなのか、よく分かりますよ。
洋子ちゃんは恥ずかしがり屋の女の子です。恥ずかしいので、あんまり人とは話さないんです。学校でお隣の席にいる和男くんが鉛筆を忘れた時も、「貸してあげようかな〜」と思ったけど、声をかける勇気がなくて言い出せなかったんです。昨日、学校の帰り道にお爺さんが地図を見ながらうろうろしているのを見かけた時も、「道に迷っているのかな?」と思いましたが、声をかけることはしませんでした。ある日学校で先生から、「世界中には、お勉強をしたくてもノートも鉛筆もランドセルも持っていない子ども達がいっぱいいる」という話を聞きました。このお話をお母さんにしたら、「それじゃあ世界の困っている子どもたちのために、何かできることがあるかどうか考えてみたら」と言われました。洋子ちゃんは今月のお小遣いをまだ使わないで持っていました。「じゃあ、このお小遣いを困っている子どもたちに届けてあげたい」と考えた洋子ちゃんは、そのことをお母さんに相談しました。するとお母さんは、「それじゃあ、もう少しお小遣いが貯まったら、ユニセフに送りましょう。ユニセフはお勉強したいと思っている子どもたちのところへ、届けてくれるから」と言いました。洋子ちゃんは、自分が欲しいと思うものがあるときにはお小遣いを使って買いましたが、欲しいものがないときにはお小遣いを貯めて、ユニセフに送ったそうです。洋子ちゃんは、今も恥ずかしがり屋で、あんまり人とお話しすることはできませんが、それでも自分ができることを続けました。神さまはそんな洋子ちゃんのことも、ちゃんと見ているはずです。イエスさまは「一番困っている人に親切にすることは、この私に親切にしてくれたのと同じことだよ」と言われました。私たちにもできる「小さな助け」はあるでしょうか?考えてみましょう。
(執筆: 田島靖則牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)141番「ウリエ イウッソン」、改訂版128番「うえているひとと」。
今日は次のことばを書きましょう。『わたしの兄弟であるこの最も小さい者にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。マタイ25:40』
絵本「くつやのマルチン」のお話をみんなで聞きましょう。
(絵本は教会の他、図書館などにあるかもしれません。また、以下のURLなどから動画を見ることも出来ます)
ここでキリストが「飢えている、渇いている、旅をしている、着るものがない、病気である、牢屋に入れられている」と言っているのは、全て人々に忘れ去られているような、誰にも思い出してもらえないような人々のことです。義務感からでなく、意識しないでそういった人たちの助けになることはできるでしょうか?