この世の賃金査定の基準と天の国のそれとはまったく異なることを学ぼう。
この世の賃金は労働・仕事量への対価が当たり前です。いわゆる能率給、能力給と言われるものです。ところがイエス様の「ぶどう園の労働者」のたとえでは、労働者に支払われる基準がまったく異なったのです。一時間しか労働しなかった労働者にも、明け方から夕刻までの丸一日働いた労働者にも、まったく同じ額の一デナリオンが支払われるのです。夕方近くまで仕事にありつけなかった労働者は、労働の意欲はあったのですが、不幸にして職にありつけなかっただけだったのです。明け方からぶどう園で汗水たらして働いた労働者と職が見つからずただじっと不安の中で過ごした失業者の過ごした時間の対価が、天の国では同じであることを伝えることがポイントです。
このたとえは、読者がどちらに自分を置いて読むかでまったく意味が異なって来ることにも注目したいものです。
この時代のユダヤの国の労働者の一日の賃金が「一デナリオンである」と説明されますが、それはこの「ぶどう園の労働者のたとえ」が根拠となっています。因みに「デナリオン」はローマの通貨、「ドラクメ」(ルカ15:8)はギリシャの通貨で、二つは等価と言われています。
イエス様が「天の国」のたとえを話されました。ぶどう園に実ったぶどうの収穫をしてくれる労働者をある主人が雇ったのです。まず主人は、明け方に雇った労働者に一デナリオンの賃金を約束しました。9時頃に主人が広場に出かけるとまだ仕事にありつけない人たちがいたので、その人たちも一デナリオンで働いてもらうことにしました。その後も主人は広場に出かけ、12時、3時そして5時と同じようにして労働者を雇いました。夕方の6時になり、主人が労働者たち一人ひとりに賃金を支払うことになりました。明け方から12時間も働いた人にも1時間しか働かなかった人にも同じ一デナリオンが約束通りに渡されました。ところが明け方から働いた人たちが大いに不満を述べたのです。
みなさんはどう感じますか。きっと、明け方から夕方まで働いた人のことを「可哀そうに」と思ったことでしょう。あるいは主人の方が少し変な感じがすることでしょう。でもそう感じた人は、健康に恵まれ、元気に生活し、何事にも熱心に、きちんと取り組んでいる人だと想像します。そういう人は、明け方からずっと働いた労働者が気の毒だと思うのです。私も初めてこのたとえを読んだ時にそう感じました。でも、このたとえの「夕方の5時にようやく仕事にありついた人」に自分を置いて読んでみたらどうでしょうか。少し想像してみてください。明け方から広場で仕事を探していたのに、仕事をもらえなかったのです。家族を養う必要があったことでしょう。日暮近くまでずっと不安のままだったことでしょう。その間、ぶどう園でずっと働いていた人の方が肉体的にはきついのです。でも、明け方に仕事にありつけた時から、その人から「仕事が見つからない。家族みんなのパンを買うお金をどうしよう」という悩みは消えたのです。どちらが辛い時を過ごしたのだろうかと考えると、イエス様の目から見ると同じ辛さだったのです。夕方に一デナリオン貰った時に、5時にようやく仕事にありついた人の喜びの方がどれほど大きかっただろうかと想像できるのです。
教会には「天に宝を積む」という言葉があります。ぶどう園の労働者が主人のためにぶどうを収穫したように、神様のために私たちが収穫の働きをするという意味です。神様のための収穫の仕事をするには牧師先生だけではありません。だれにでもできる収穫の働きがあるのです。例えば神様に祈りを献げることです。教会学校に通うこと、あるいは友だちを教会学校に誘うこともそのひとつです。助けを必要としている友だちのために祈ることなどです。一つひとつは小さなことであっても、イエス様の目から見れば、牧師先生の収穫の働きときっと同じなのです。「天に宝を積む」という神様の収穫のために、みんなが力を合わせることができれば、これほど素晴らしいことはないと思います。その働きのために自分にできることを精一杯行った人に、イエス様はみんな同じ一デナリオンを用意してくださっていることでしょう。
(執筆:立山忠浩牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)63番「あさひうけて」、改訂版127番「あさひうけて」。
<用意するもの>
ブロックやカプラ、ドミノなど、積み重なるもの(不安定なものほど楽しい)
①ひとりずつ順番にブロックを積んでいく。人数が少なければ、2巡目、3巡目と行ってよい。
②みんなで力を合わせて倒さずに全員で積むことが出来れば、成功!
・今日のたとえのように、イエス様の教えは、私たちの生きている社会とは異なるものがよくあります。まったくこの世の考え方の逆であるような教えに満ちています。他にもどんな教えがあるか話し合ってみよう。
・労働者の中で、だれが一番気の毒な感じがするか、第一の印象を語り合ってみよう。そして次に、自分を「5時から1時間しか働かなかった人」に置いて読んでみたら、どう感じるのか話し合ってみよう。
・神様の収穫のために、私たちがどんなことができるのだろうか、話し合ってみよう。