・後半のカナンの女の信仰について、「熱心に求めること」を主題として説教することも出来るが、ここでは前半の結びの部分に焦点をあて、何が神さまを悲しませるのか、ということを主題とした説教を組み立ててみた。
・子どもたちが「手を洗わなくてもいいのだ」と誤解してしまうと困る。しかし、手を洗うかどうかに執着して本質を見失ってしまうファリサイ派に対して、イエスさまが鋭く批判されたことは覚えたい。神さまは、わたしたちの心が元気でいることを喜んでくださる。
・この箇所は、「お尻から出るうんちよりも、口から出る悪口の方が人間を汚すのだ」と説かれたイエスさま一流のユーモアである。
・宗教的なケガレについての概念を小さな子どもたちに理解してもらうことは難しいので、そこには深入りせずに、神さまが悲しむこと、喜ぶこと、という切り口でまとめるとよい。
・旧約聖書には、申命記やレビ記などに613もの律法が記されているという。ファリサイ派の人々は、これら書かれた律法の他にも、書かれていない「口伝」の律法を伝承しており、その両方を守ることが神の前に正しい、神に喜ばれることだと教えた。
わたしたちがご飯を食べると、ご飯は身体の中でどうなるでしょうか。お腹の中の「胃」ということろで、ご飯はドロドロに溶かされます。そして「腸」ということろで、どろどろになったご飯の栄養が、身体に取り込まれます。そして、必要な栄養分を取り込んだ後に残ったカスが、うんちとなってお尻から出てきます。うんちは残りカスですけれど、もともとはわたしたちが食べたご飯ですから、悪いものではないのです。人間の身体から出てくるもので、もっと悪いものがありますよ、とイエスさまが教えてくださいました。
ご飯を食べるときには、手を洗い、食べるものも洗ってから調理します。そうしないとお腹の中でばい菌が増えて、お腹が痛くなってしまうことがあるのです。なので、身体が元気でいるために、手を洗ってからご飯を食べることは大事なことです。
でも、身体は元気でも、お心が悪くなってしまったらどうでしょうか。手を洗うことを忘れたからといって、お心が悪くなってしまうわけではありません。お心が元気でいることが、とても大事なことなのです。
むかし、ユダヤの国で、イエスさまとお弟子さんたちが、手を洗わないでご飯を食べたときに、ファリサイ派のおじさんたちがやってきて、そんなことをしたら神さまが悲しむぞといって、イエスさまとお弟子さんたちに、たくさん文句を言ったのでした。そこでイエスさまは、手を洗うことはもちろん大事だけれど、手を綺麗にしておくよりも、もっと大事なことがあります、と教えてくださいました。それが、お心を元気にしておくことです。わたしたちは、心が悪くなってしまうと、おともだちに意地悪をしたり、悪口を言ったり、ウソをついたり、叩いたり、人のものを勝手に取ったりしてしまいます。お心が元気でないと、わたしたちの身体から悪いものが出てくるのです。それは、お友だちも悲しむことですし、何より神さまが悲しまれることです。
わたしたちは、聖書のお話しをよく聴いて、おとだちにやさしくし、お心を元気にして、神さまが喜ばれることを考えていきたいと思います。
(執筆:小泉基牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)102番「イエスさまのおこえが」、改訂版6番「イエスさまのことばが」。
<用意するもの>
色画用紙、白い折り紙、のり
1 好きな色の画用紙を直径16~17cmで丸く切る。(あらかじめ、ここまで準備しておいても良いです。)
2 白い折り紙で星型を作る。
参照:折り紙 星の簡単な切り方 Origami Star - http://tng.jelcs.net/cstext/index.cgi?id=20230820
3 星型の折り紙に元気なお顔を描いてみましょう。
4 丸い画用紙に星型の折り紙を貼り付けます。
※神様の喜ばれることって何でしょう?
聖書のお話をよく聞いて、お友達にやさしくし、元気なお心でいましょう。
・身体が悪くならないために、衛生に気を配ったり、病院に行ったりすることがある。では、心が悪くならないために、どんなことに気をつければよいだろうか。
・わたしたちの心から、悪い心が完全になくなることはない。そんなわたしたちのために、イエスさまがして下さったこととはなんだっただろうか。