2023年8月13日 聖霊降臨後第11主日
マタ 14:22〜33 王上 19:9〜18 ロマ 10:5〜15

今週の聖句

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
マタイによる福音書14章27節

ねらい

・わたしたちは、何でも自分の力で出来ると考えてしまう。けれども、上手くいっているとき、結果が出ているときにこそ、周りの人たち、何より神さまの支えの中にあることを忘れずに歩みたい。

説教作成のヒント

・サッカーの話は、子どもたちが身近に感じられる他のたとえに置き換えてもよい。

・イエスさまが、山の上で弟子たちのこれからのことを覚えて祈っていて下さった事に言及しても良い。

豆知識

・1スタディオンは約190メートル。数スタディオンは、数百メートルから1キロ数百メートルくらいの距離となる。

・27節の「わたしだ」は、ギリシャ語で「エゴー・エイミ」と発音し、福音書の中でイエスさまが、ご自身を神的な存在であると表すときに用いられる。この出来事を通して、舟の中にいた人たちはイエスさまを「神の子」であると認識するようになった。

説教

ジュンくんは、少年サッカーのクラブに入っています。練習は大変で、試合に出るためにはたくさん練習して、サッカーが上手にならないといけません。ジュンくんは、試合に出ようと一所懸命にに練習しました。そして、ようやく出してもらった試合で1試合に2つのゴールを決めたのです。

そのあとジュンくんは、次の試合もその次も試合に出してもらい、試合に出るたびにゴールを決めました。ジュンくんは、「自分が練習したからゴールを決められたのだ」と思いました。そして、ゴールをきめられない人は練習をしていないからだと考えて、ゴールを決めない周りの選手に、「なんで決められないのか、練習をしてないからだ」、と文句を言うようになったのです。

ところが、その次の試合からジュンくんは絶不調になってしまいました。試合に出してもらっているのに、練習も必死にしているのに、ちっともゴールが入りません。ジュンくんは、サッカーのクラブに行くのが嫌になってしまいました。

ジュンくんは悲しくなって、教会学校の先生に自分の気持ちを聞いてもらいました。すると先生は、イエスさまのお弟子さんのペトロが、イエスさまに言われて水の上を歩きはじめたのに、風が吹くと途中で怖くなって沈みそうになってイエスさまに助けていただいた話をしてくださいました。ペトロは最初、ガリラヤの湖の上を歩きはじめたときに、自分もイエスさまのお弟子さんになって、イエスさまからしっかり勉強してきたから、こんなことまで出来るようになったのだ、と自慢したいような気持ちになったのです。でも、それはペトロ自身の力ではありません。自分で何でも出来ると思っても、実は周りの人たちが支えてくれているからこそ結果が出る。一緒に練習する仲間や、送り迎えしてくれるお父さんお母さんが、いつも助けてくれていた。そして何より目に見えない神さまが支えていてくれたのです。ペトロは、こわくなって湖に沈みそうになってはじめて、そのことに気がついたんだよ、と先生は話してくれました。

ジュンくんは、自分がゴールを決めたときでも、周りの仲間や支えてくれる人たち、そして神さまへの感謝の気持ちを忘れてはいけないのだとはじめて気がつくことが出来ました。ジュンくんは元気になって、またサッカーの練習をがんばろうと思ったのでした。

(執筆:小泉基牧師)

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

旧版(1987年版)57番「しゅよわたしをあわれみ」、改訂版27番「キリエ・エレイソン」。

やってみよう

☆信じて歩こう

<用意するもの>

目隠し用のタオルなど2人に1枚(もしくは持ってきてもらう)

①2人ペアになって、1人が目隠しをする。

②もう1人が、声だけで誘導して教会の中や庭を歩く。

③次に、しっかり手をつないで同じように歩いてみる。

④今度は、目隠しする人を交代して同じように、声のみ、手をつないで歩いてみる。

⑤声だけの時と手をしっかりつないでいた時とどうだったか話してみる。

「イエス様は、みんなの手をしっかりとつないで歩いてくれます」

最後にみんなで輪になって隣の人としっかり手をつないでお祈りしましょう。

※夏休みのイベントとして、スイカ割りをしても楽しいですね。

はなしてみよう

・自分には、他の人よりも優れた部分があると感じることがあるか。

・あるとすれば、その能力は誰からもらったものであるのか。

・神さまからいただいた力は、自分が偉くなるために使うのではなく、周りの人たちのためにその力を使うために、神さまから委ねられた力であるということに気がついていきたい。