・ロシアとウクライナの戦争が始まり、侵略に備えるために基地や武器が必要だという声が大きくなってきた。
・このような時だからこそ、非暴力によらずして平和をつくりだすことは出来ないと信じて反基地闘争を戦い抜かれた阿波根昌鴻さんの戦いに学びたい。
・阿波根昌鴻さんと伊江島の闘いについてはインターネット上にも資料があるが「命こそ宝―沖縄反戦の心」 (岩波新書1992)に詳しい。
・今回のテキストは、「平和と戦争の絵本④非暴力で平和を求める人たち」(2003 大月書店)を参考にした。
・沖縄戦では、米国側1万2520人。日本側18万8136人が亡くなったとみられている。
・一般の住民は9万4千人。県民の4人に1人が亡くなったといわれている。
・阿波根さんは、若い頃に洗礼を受けてクリスチャンとなり、また無教会主義に強い影響を受けデンマーク式農民学校の建設を志したものの戦争で土地を奪われ断念。
・戦後は「伊江島土地を守る会」などで活躍。晩年は「自宅敷地内に反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を建てて平和を訴え続け、日本のガンジーと呼ばれた。2002年に101歳で召天。
・このヌチドゥタカラの家の壁面には、「すべて剣をとる者剣にて亡ぶ(聖書)、基地をもつ国は基地で亡び、核を持つ国は核で亡ぶ(歴史)」と大書してある。
今から80年くらい前、日本はアメリカと戦争をして負けました。日本では特に沖縄が戦場になり、アメリカの兵隊が沖縄に攻めてきて、兵隊だけでなく、たくさんの島の人たちが殺されました。沖縄県民の4人に1人が戦争で亡くなったのです。沖縄の人たちの土地は戦争に勝ったアメリカ軍が使うことになり、たくさんの人たちが大事な家や畑を取られてしまいました。
沖縄の伊江島という小さな島でも、3500人の住民の内1500人が戦争で亡くなりました。戦争が終わり、伊江島にもアメリカ兵がやってきて農民たちを縛り上げて、殴りつけて言いました。「この島は、アメリカ軍が血を流して日本軍から取ったのだからお前たちに住む権利はない」。そして家は焼き払われ、ブルドーザーで押し倒されて島の6割以上の土地がアメリカ軍の基地になってしまったのです。
島の土地を取り返すために先頭に立って闘ったのが、戦争でひとり息子を亡くされた阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんでした。阿波根さんは、自分たちがアメリカ軍と交渉するときのルールを作りました。「アメリカ軍には反対するが、アメリカとアメリカ人全部を敵とはみない。ウソはいわない。怒ったり悪口をいわない。アメリカ軍と話すときは、棒や鎌を持たず、耳より上に手を挙げない。相手に正しいことを教える気持ちで、大きな声を出さず、静かに話す。軍をこわがらず、軍人よりも農民の方が正しいという気持ちを忘れない」。
こうして阿波根さんは、ねばり強く長い時間をかけてアメリカ軍や日本政府と交渉し、話しあいだけで、取られてしまった土地の半分を取り返したのでした。阿波根さんは、イエスさまの「剣を取るものは剣によってほろびる」という言葉を大切にしていました。そして、アメリカ軍の人たちに「わたしは、あなたたちが滅びてしまうのが好きではないのです。だから、基地と一緒にアメリカに帰りなさい」と言いました。基地は、アメリカの人たちのためにもならない、と心の底から信じていたのです。わたしたちも、イエスさまが「互いに愛しあいなさい」と教えてくださったように、相手のことを考えて、基地を作ったり、戦争の道具を買い集めることを止めて、平和をつくりだしていきたいと思います。
(執筆:小泉基牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)77番「せかいのこどもは」、改訂版34番「キリストのへいわ」。
<用意するもの>
人数分の画用紙、マジック等
1 自分の手形を右手・左手をえんぴつでかたどる。
(絵の具を手に塗ってぺったんとしてもいい)
2 それぞれの手形をマジックでなぞる。
3 右手に、それぞれが考える平和ってなぁに?どんなこと?
左手:みんなで“平和”のために祈りたいことってどんなこと?
(自分のために。みんなのために。)を書く。
※小さい子は、絵を描いて表してみましょう。
・日本国憲法の第9条には何と書いてあるでしょうか。
・なぜ武器を持たないことが戦争の抑止につながるのでしょうか。
・非暴力運動を闘った人には、どんな人がいるか調べてみよう。
・イエスさまの語られた言葉は、非暴力運動を戦った人たちにどんな影響を与えたでしょうか。