この世の摂理(=種を蒔いて水をやれば育つ)ではなく、神さまの摂理(=神さまの御心だからこそ育つ)を語りたいと思います。私たちの心に神さまがみ言葉の種を蒔いてくださり、神さまが養い育ててくださるからこそ種は芽を出し、大きくなるのです。
「良い土地」とは、私たちの心に良し悪しがあるのではありません。神さまのみ言葉を受け取ってゆこうとする心に、み言葉の種が育つのです。
種蒔きの譬えは神の国の告知(=宣教)が出会う困難を意味しますが、大きな実りに力点が置かれています。このことは最初期の教会が迫害に遭いながらも宣教を続けられたこと、即ち大きな実りを確信していたこととも通じます。
私の通っている教会の庭に、切り株がありました。庭を手入れしてくださっている人と話し合って、切り株を抜くことになりました。切り株は直径が15センチほど、親指から人指し指を開いたくらいでしょうか。そんなに大きくは見えない切り株だったのですぐに抜けるだろうと思いながら、切り株を抜き始めました。ところが、どこまで土を掘っても切り株の根っこの先を見つけることができません。地面を10センチ、20センチ、30センチと掘り進めたところで、掘ることを諦めました。切り株の根は、どこまでも伸びているように思えました。切り株として見えている部分はほんのわずかでしかなくとも、根っこはしっかりと張っていたのです。
イエスさまは人々に「種を蒔く人」のたとえを語りました。種はそれぞれ道端や、石だらけのところ、茨の中に落ちましたが、どれも大きく成長することはありませんでした。しかし良い土地に落ちた種は、100倍にもなるのです。このお話は教会の切り株と似ているなと思います。見えている部分は小さな切り株でも、その根っこはしっかりと伸びていたのです。
教会の切り株は、植えられた時は小さな苗木だったそうです。何年も何年もかけて、100倍以上に大きくなったのです。私たちの心に、イエスさまはみ言葉という種を蒔いてくださっています。切り株の根っこが地面の中をどこまでも伸びていったように、イエスさまがあなたの心に蒔いてくださったみ言葉の種は、あなたの心に大きく育っているのです。
地面の中を長く伸びた根っこは、そう簡単に引き抜くことができません。イエスさまがあなたの心に蒔き、成長させてくださっているみ言葉の種も、簡単に引き抜かれることはないのです。
(執筆:中島共生牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)71番「むぎのたね まきます」
改訂版56番「むぎのたねまきます」
種をまいて、観察してみよう。どれくらいで芽が出たかな?お水はどれくらいあげてるかな?写真を撮ってお友だちと見せ合ったり、収穫したものを食べてみたりなど、植物の成長の喜びを分かち合おう。
・この時期だと、えだまめ、小松菜、チンゲンサイ、コスモスなどの種をまくと良い。
・豆苗で水耕栽培をしても楽しい。
・イエスさまの蒔かれるみ言葉の種とは、どのような種でしょうか。
・種が大きく成長すると、どんな姿になるでしょうか。
・あなたの心にみ言葉の種が蒔かれ、それが大きく成長するとはどういうことでしょうか。