2023年7月9日 聖霊降臨後第6主日
マタ 11:16〜19, 25〜30 ゼカ 9:9〜12 ロマ 7:15〜25a

今週の聖句

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。」
マタイによる福音書11章28節

ねらい

重荷とは物理的な重荷だけでなく、精神的な重荷をも含みます。イエスさまが私たちの重荷を担ってくださるということは、いつもそばにいてくださるということです。

説教作成のヒント

イエスさまは私たちに重荷を課すお方ではなく、私たちの重荷を共に担ってくださるお方です。それは十字架と言う究極の重荷によってこの世界に現わされました。

豆知識

「休ませてあげよう」とは、元気を出させるという意味の言葉です。彼らが負っていた軛(=重荷)とは、規則となっていた律法です。律法とは神さまと人間との約束ですが、当時、律法を解釈する人々によって神さまの意志とはかけ離れたものとなっていました。守ることだけに主眼が置かれた規則は、もはや本来の目的を見失っていたのです。「神さまとの約束」、このことが抜け落ちたところにあるものは、ただ人々を苦しめるだけの軛(=重荷)でした。

説教

イエスさまが「こっちに来て休んでごらん」と呼びかけました。呼びかけられたのは、疲れた人たち、重荷を負う人たちでした。疲れた人、というのはよくわかります。私たちも学校で一日中授業を受けたら疲れたと感じるでしょう。疲れて、家に帰ったらすぐに眠ってしまうということもあるでしょう。では、重荷を負う人とはどういう人たちでしょうか。

皆さんは、重たい荷物を持ったこと、たくさん荷物の詰まったリュックを背負ったことがあると思います。夏休みに入る前の終業式で、荷物をいっぺんに持ち帰らなければならない日があるでしょう。自分だけではとても持ち帰れないような荷物が目の前にあったならば、皆さんはどうしますか?誰かに助けてもらわなければ荷物を持って帰ることはできません。友達が一つ持ってくれた、家族が半分持ってくれた、そんなことがこれまでにもあったと思います。

イエスさまはたくさんの荷物を持っている人に、「こっちにおいで」と言いました。ただ「こっちにおいで」と言っているのではありません。「あなたの荷物、私も半分持つよ」と言ってくださるのです。私一人では持ち切れなかった荷物をイエスさまが一緒に持ってくださるのです。イエスさまが私のそばにいてくれる、私の抱えている荷物を一緒に持ってくれることは、どんなに安心できることでしょうか。

重たい荷物は、半分になりました。けれど、無くなったわけではありません。半分は残っています。しかしもう半分をイエスさまが一緒に持ってくださっていると思えば、私たちの心に元気が沸き上がってきます。

私は一人ではありません。「こっちにおいで」と私に呼びかけてくださるイエスさまがいつも一緒におられるのです。

(執筆:中島共生牧師)

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

旧版(1987年版)61番「いつくしみ ふかき」

改訂版130番「いつくしみふかい」

やってみよう

☆お友達や先生と一緒に運んでみよう

<用意するもの>

バケツ 水 (500mlのペットボトル数本と袋やエコバックなどでもいい)

スタートとゴールがわかる目印(テープや紐など)

途中に置く障害物になるもの(椅子など)


・数メートルの距離が取れる室内や屋外のスタート地点とゴール地点に目印をつける

・2人組になって、水の入ったバケツをスタートからゴールまで協力しながら運ぶ


中の水がこぼれたり、落としたりしないように運べたかな?

はなしてみよう

・当時の人々にとっての「重荷」とはどんなものだったでしょうか。

・私たちにとっての「重荷」とはどんなものでしょうか。

・イエスさまが共に担ってくださるとは、どういうことでしょうか。

・イエスさまが私の「重荷」を担ってくださると知って生きる時、私はどんな生き方をするでしょうか。