イエスさまが声をかけられたのは、一体どんな存在だったのか考える。
イエスさまの業によって、少女が起き上がる。そこにはイエスにひれ伏す(礼拝行為)、父の姿(信仰の働き)が影響している。出逢った人との関わりを考える。
歴史的背景から、徴税人がどう見られていたかを知る。(罪人とは?)(出血に対する考え)
一緒に食事をすることの意味を考える。
18~26における二つの治癒奇跡のテーマは「信仰」であり、治癒奇跡はイエスの力だが、イエスは「信仰」がもたらしたと語ります。
ローマ帝国支配下の属州において、徴税人は徴税権を前払い入札によって購入していた。
取立てる徴税額は徴税人の裁量に委ねられ、入札以上(過剰)の徴税額が徴税人の収入となっていたので、人々から嫌われる理由の一つとなっていた。
それ以外に、外国政府に仕えてイスラエルの民を苦しめる売国的商売ともみられていた。
徴税人マタイさんがイエスさまの弟子になったときのお話です。徴税人マタイさんがお仕事のために収税所に座っていました。イエスさまはマタイさんに「わたしに従いなさい」と声をかけます。そして、イエスさまはマタイさんや罪人と言われる人たちと、一緒に食事をしました。イエスさまが活躍した時代、共に食事をするのは同じ立場にたつ者、心を許し互いに受け入れる関係にある、という意味があります。イエスさまは、徴税人や罪人といわれる人も神さまに愛される人だと理解していました。しかし、ファリサイ派の人たちは、人々が嫌う徴税人や罪人と一緒に食事をするのは「けしからん!」と考えていたのです。
罪人とは、神さまに背を向けた人を意味する言葉でもあるので、ファリサイ派の人たちからは“ユダヤの律法に反した生き方をする人々”と認識されています。そして徴税人は、イスラエルのためではなく、ローマ帝国のための仕事をしていたので、人々から憎まれていました。
皆さんは、自分とお友達を苦しめる人がいたら、どんな気持ちになりますか?なんでこんなことをするのだろうと思って、離れることを選ぶかもしれませんね。そして、自分たちは正しいことをしていると信じているとき、“正しいこと”を守れない人がいたらどうしますか?自分たちが“正しい”と思っていることを守るように、「それは違うよ!」というかもしれませんね。それは “皆さんの考え”ですが、相手の人はどんな気持ちで行動しているのでしょうか。相手の人も自分の“正しさ”があります。
イエスさまは、神さまの教えを正しく行うために“罪人”といわれる人と食事をしました。それはメシアとしての愛(憐れみ)の行為なのです。ユダヤ教の考えとして、食事は神さまが与えてくれた食物を、神さまへの感謝と賛美のうちに聖別して食する、礼拝行為的な意味もあります。すべての人が神さまの愛(憐れみ)の恵みに満たされること、これが神さまの望みなのです。わたし達は、“自分の正しさ”を押し付けるのではなく、イエスさまが語る “神さまの正しさ”を考えてみましょう。
(執筆:室原康志牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)53番「しゅに したがいゆくは」
改訂版119番「しゅにしたがうことは」
•フルーツバスケットの要領で椅子を丸くして座る
•リーダー(鬼)はフルーツではなく、集まった人の特徴などでお題を出す
例「メガネをかけている人」「白い服を着ている人」「朝パンを食べた人」など
•「神様の子ども」というお題の時には全員が椅子を移動する
見た目の違いだけでなく性格も考え方も違う私達ですが、皆同じ「神様の子ども」であることを忘れずに、日々を歩んでいけるようお祈りをしよう
①他の人が批判している場面(片方だけの意見・悪口)に出会ったことがありますか?
②その話を聞いて、あなたは「そうだなぁ」と思いましたか?「違うよ」と思いましたか?
③仲間外れになっている人がいたら、どうしたいと思いますか。そしてその考えを実行できると思いますか。
④自分の話を聞いてくれる人がいないとき、どんな気持ちになりますか。その時は、どうしたいと思いましたか。
⑤18~26節では、イエスさまを信じて行動した人がいます。イエスさまの“何”を信じて行動したと思いますか。