「聖霊を受ける」と、人はどうなるかを考える。
ペンテコステを「教会の誕生日」と言うことがある。どうしてそう言われるのかを考える。
「聖霊」「神の霊」「神の息」を受けた人がどうなったか、聖書の霊を見る。創世記2章7章では「命の息」が吹き入れられ、人は生きるものとなったことが記されています。使徒言行録2章にみる、「聖霊降臨」の場面では、「霊」に満たされた人々は、語り出したとあります。
「霊」という言葉は、新約聖書の原語であるギリシャ語聖書では「霊」と共に「風、息」と訳される「プネウマ」という言葉が使用されています。窓を閉ざした家の中から風は見えませんが、木々がゆれる様子をみて、風が吹いていることがわかります。「霊」も見えませんが、霊に満たされた人の様子をみて、周りの人にも霊が働いていることがわかるのです。
今「ふうせんを描いてください」と言われたら、みんなはどんなふうせんの絵をかきますか? (何人かに尋ねてもいいですし、実際に描いてもらってもいいでしょう。)ほとんどの場合、ふうせんがふくらんだ様子を描くのではないでしょうか。空気が入っていても、入っていなくても、ふうせんはふうせんなのですが、空気がいっぱいはいって膨らんだ状態を、私たちは「ふうせん」と考えているのです。それと同じように、空気がいっぱい入って膨らんだ状態を、そのものと考えているものがあります。たとえば自転車のタイヤ、自動車のタイヤ。自転車や自動車を絵に描くとき、空気が抜けたタイヤを描く人はいないでしょう。空気がいっぱいに入った状態が自転車を自転車とし、車を車とするのです。実は私たちもそうなんです。新約聖書が書かれた、ギリシャ語聖書で「霊」という言葉は、ほかに「風、息」という意味をもっています。ギリシャ語の旧約聖書では、創世記2章で「その鼻に命の息を吹き入れられた」という場面で、「息」は同じ仲間の言葉が使われています。「人はこうして生きるものとなった(創世記2章7節)」と言われていますから、神の息を吹き込まれた時、私たちは生きるということがわかるのです。ちょうど、ふうせんやタイヤと同じだなと思いました。
今日は「ペンテコステ」、聖霊降臨という教会のお祝いの日です。また「教会の誕生日」とも言われます。イエスさまが敵につかまった時、怖くなって逃げ出したお弟子さんたちでしたが、聖霊を受けた時、力強くイエスさまのことを話し始めたのです。お弟子さんたちが強くなったわけではありません。ふうせんが膨んだ時に、「ふうせん」となったように、お弟子さんたちに聖霊が吹き込まれて、お弟子さんたちは、神さまの出来事をお話しすることができるようになったのです。この日が教会の誕生日であるのは、私たちも聖霊を受けて、イエスさまのことを話し出す、これが教会という集まりだからです。そのために、礼拝のたびに聖霊を受けて、いっぱいに満たされることが大切なのです。
(執筆:佐藤和宏牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)42番「おことばしんじ」、改訂版95番「せいれいによりて」。
<用意するもの>
ポリエチレンの手袋(百均などで売っているもの)、画用紙、書くもの、ハサミ、セロテープ、輪ゴム、ストロー
*作り方
ポリエチレンの手袋を一人ひとつずつ使います。
手袋の親指のところに頭、他の指のところには、鳥の羽の形を画用紙で作り、セロテープで貼り付けます。(頭は目やくちばしを付ける)
紙コップの底の方に近い側面に穴をあけ、ストローを通します。(穴はストローがギリギリ通るくらい)
手袋を紙コップに被せ、輪ゴムで止めます。(難しければ、セロテープで止めてもよい)
ストローを吹くと、手袋が膨らんで、鳩が羽を広げます。しぼむと紙コップの中に入って見えなくなります。
「教会の誕生日」の今日、その日のことを聖書から聞いてみましょう。「使徒言行録2章1-4節」を読む。
1)「一同が一つになって集まっている」という人々の様子です。
(質問:少し難しいかもしれませんが)「同じ」ということと、「一つ」ということはどうちがうか、考えてみよう。(ヒント)「一つ」ということは、いろいろな考えを持ったり、好きなものが違っている人が、一緒にいるということだと思います。同じ考え、同じものが好きという気が合う友だちが集まっていたのではなく、いろいろな面でちがう人が、神さまによって一つになっていたということです。
2)「炎のような舌が、一人一人の上にとどまった」という「聖霊」の様子です。
(質問)どうして、一同全体にとどまるのではなく、一人一人の上にとどまったのでしょうか。
(ヒント)一つになって集まっていたのだから、どーんといっぺんにまとめてとどまってもよさそうですが、一人一人個別にとどまりました。それは一人一人に、神さまは働きかけているからです。一人一人に与えられているもの(賜物、恵みなど)がちがっているということです。神さまの前で、人と比べることはできないということです。
3)「“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」
(質問)彼らは何を語り出したのでしょうか。
(ヒント)「ほかの国々の言葉」でとは、「いろいろな国の人がわかる言葉」ということです。それは神さまの言葉ではないでしょうか。また「“霊”が語らせるまま」に話したのですから、自分たちが考えたことではなく、神さまが世界中の人々に伝えたい言葉を話し出したのです。