逃げ出した弟子たちのことをイエス様は責めません。復活したイエス様が、弟子たちと出会って最初に語ったのは、弟子たちに平和があるようにと願う言葉でした。
・イエス様は、十字架で死んだ後、復活させられ、マリアのもとにまず現れました。そしてマリアは弟子たちに「わたしは主を見ました」と告げました(ヨハネ20:18)。ですがおそらく弟子たちは、マリアの言うことを信じられなかったのでしょう。建物に鍵を掛けて、ひきこもっていました。
・弟子たちが引きこもっていた理由は、イエスに敵意を持つ人たちに見つかったら殺されるかもしれないと恐怖感があったからです。これまで自分たちはイエス様に従うことに生活を費やしてきたのに、イエス様が死んでしまい、これからどうしたらいいのかという不安がありました。
・復活したイエス様は、まず「あなたがたに平和があるように」と言いました。もしこの言葉がなければ、せっかくイエス様が復活したとしても、弟子たちにとっては「自分たちがイエス様を裏切ったことを、イエス様はどう思っているのだろう」と不安なままだったに違いありません。
・後述の「説教」では「時には逃げることが大事」というメッセージを書きました。しかし、「『逃げても良い』と言うのはいっけん優しいようで、実は無責任なのではないか。逃げただけでどうやって生き延びていけるのか」と疑問が出てくるかもしれません。その問いに対する答えは、大人向けですが、次の動画が参考になるかもしれません。動画の内容は、よく逃げるためには、勉強が必要だというものです。いつ、どこに、どうやって逃げるかをよく判断するためには、勉強が必要です。昔は、「ズル」をするということは「勉強をしない」という意味でした。しかし今後、「ズル」をするとは、「勉強をする」ということを意味する、と下記動画では予測しています。ただし、説教の聞き手が小学生以下ですと、机に座る勉強をすることを推奨するよりも、なるべく自然に触れて遊ぶ方が大事な時期だと思います。そのためひとまず説教では、「逃げることの大切さ」だけを述べるに留めました。聞き手しだいでは、勉強をすることの大切さも語っても良いかもしれません。ただしその勉強は、塾に通ったり良い学校に入学することだけを指すのではありません。また、いわゆる「勉強」が苦手な特性を持っている子どももいますので、どこまでを語るかは(聞き手のことを知っている)説教者が判断をして頂ければと思います。
- 「【千葉雅也】人生は両極じゃない"脱構築"する生き方」
https://www.youtube.com/watch?v=TF3OV8bP_WQ
- 「大学生が個性を身につけたければ勉強をすれば良いという話」
https://www.youtube.com/watch?v=BsQJTvcbFqQ
「平和」は、ヘブライ語で「シャローム」と言います。聖書に書かれている平和とは、戦争がないということだけでなく、欠けのない状態、すべてが満たされている状態を指します。イエス様は、平和を弟子たちに与えます。平和に満たされた弟子たちは、この世のすべての人々が、決して滅びず、永遠のいのちを持つ者とされるために、この世に派遣されます。
皆さんは、先生や親から「逃げなさい」と言われたことはありますか? 鬼ごっこでは、鬼になった人以外は逃げますね。だけどそういう遊び以外では、逃げちゃダメだと言われることの方が多いのではないでしょうか。これって、よく考えるとおかしいね。だって、虫や動物は、敵から逃げて生きているからです。
さて、イエス様には、たくさんの弟子がいました。弟子の中には、「イエス様、あなたがもし死ぬようなことがあれば、私も一緒に死にます」と言う強気な人もいました。ところが、イエス様が捕まって十字架に架けられた時、弟子たちは皆逃げました。怖かったからです。
イエス様は、死んだ後、復活し、弟子達に姿を現しました。イエス様が復活したのは、一見 良いことのように思えますが、弟子たちはびっくりしたのではないでしょうか。なぜなら、イエス様が死ぬ時に、自分たちはイエス様を見捨てたからです。ところがイエス様は、まず最初に「あなたがたに平和があるように」と言いました。イエス様は、逃げてしまった弟子たちのことを恨んでいないよと伝えました。そして、弟子たちに、新しい役目を与えて、色々なところに行きなさいと言って派遣します。
「イエス様と一緒に死にます」と言い切っていた弟子にとって、イエス様を見捨ててしまったことは、苦しい思い出として残っていたでしょう。イエス様への申し訳なさや、肝心なときに逃げてしまう自分の弱さに情けなさも感じていたと思います。
しかし、弟子たちは逃げて生き延びたことによって、神様であるイエス様から、新しいお仕事をいただきました。逃げるのは恥ずかしいと感じるかもしれませんが、神様と一緒に生きていくために大切なことです。
(執筆:秋久潤牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)115A番「イースターのあさはやく」、改訂版34番「キリストのへいわ」。
二人一組になって、一人の人が支える係、もう一人が倒れる役目になりましょう。
倒れる人は相手の方を見ないで背中からゆっくり斜めになります。相手が受けとめてくれるとい
う信頼をもてれば、きっと倒れることができます。
(Lv.1)他のお弟子さんが「わたしたちは主を見た」と言ったのに、信じなかったお弟子さんは誰でしょう?(答え:トマス)
(Lv.2)なんで彼は、信じなかったのでしょう(答え:自分は復活したイエス様を見ていないから)
(Lv.3)26節、8日前って、なにがあった?(答え:部屋にこもっていた弟子たちが復活の主と出会った)
(Lv.4)8日前と26節、何が同じで何が違うでしょう(答え:同じこと→弟子たちが部屋に篭り扉に鍵をかけていたこと/違うこと:8日前はいなかったトマスがいたこと)
(Lv.99)その弟子は「私の主、私の神よ」と口にしています。このように、神様・イエス様をどう信じるかを口にすることを、教会では何と呼ぶでしょうか。(ヒント:(大人の)礼拝の中に、その項目があります)(答え:「信仰告白」)
・頼りにしている人に逃げられてしまった経験はありますか。
・「逃げる」ことに どういうイメージがありますか。
・これまで、鬼ごっこ以外で、何かから本気で逃げたことはありますか(思い出させることで、子どもの過去の恐怖心を煽ることにならなければ)。逃げたことのある人は、なぜ「逃げる」という行動をとることができたのでしょうか。一方、逃げた経験があまりない人は、逃げるということにどういうイメージがありますか。
・逃げたい対象はありますか。
・「戦う」のと「逃げる」のとは、どちらが勇気がいると思いますか。
・逃げた方がいいものと、逃げないで踏み留まらないといけないものとは、何が違うのでしょうか。どういうときにその違いが分かるのでしょうか。
・良い逃げ方をするためには、どうすればいいでしょうか。