2023年4月2日 主のエルサレム入城(枝の主日)
マタ 21:1〜11 イザ 50:4〜9a フィリ 2:5〜11

今週の聖句

「主の名によって来られる方に、祝福があるように。」
マタイによる福音書21章9節

ねらい

・人の思いはころころと変わりますが、神の意志は変わりません。

・私が神のもとに行く(努力して神に気に入られようとする)のではなく、神が私のもとに来ます。

・人は、神に勝手な期待をします。神は人の期待通りにしてくださるとは限りませんが、人が本当に必要なものを与えてくださいます。それはイエス様が、ご自身を私たちに与えてくださることで実現します。

説教作成のヒント

・エルサレムに入城したイエス様を熱烈に歓迎した人々が、イエス様を十字架につけよと叫ぶ人々に変わってしまいます。

・アイドルの世界では、「反転アンチ」という言葉があります。最初はそのアイドルの熱烈なファンであった人が、何かのきっかけで「期待を裏切られた」と感じ、アンチ(そのアイドルをけなす人)に変わってしまう現象です。イエス様を取り囲む人々も、熱烈なファンから反転アンチになった人のように思えます。

豆知識

・「荷を負うろばの子」(21:5)とは、原文の意味では「くびきを負うろばの子」という意味です。「くびき」は、二頭以上の家畜が力を合わせるために家畜の首に掛ける横木です。そしてイエス様の十字架も「くびき」です。人は神から、「自分の十字架を背負って」イエス様に従うように求められています。しかし人は、自分の自由を奪うくびきを嫌い、くびきを捨てました。受肉した神として、まことの人間としてやってきたイエス様は、人々が投げ捨てたくびきを拾い、背負います。このくびきを背負うことが、十字架に架けられて死ぬことです。イエス様の十字架によって、神が人とくびき(十字架)でつながります。私たち一人一人が十字架というくびきを負うことで、神と繋がり(神を愛する)、隣人と繋がる(互いに愛し合う)ことが実現します。

・ろばは、荷を負うための家畜です。ろばには、馬のような格好良さは無い、とされていました。

・本日、イエス様は王としてエルサレムに入りました。しかし救い主であるはずの王が、立派な馬ではなく、ろばに乗ってやって来るところに「王なのにろばなの?」という不可解さがあります。

・マタ21:5は、ゼカリヤ書9:9の引用です。今日の場面でこの箇所が引用されている理由は、「旧約聖書において神が『救い主である王はろばの子に乗ってやってくる』と預言されていたことが『イエスによって成就された』」ということです。この場面に居合わせた群衆もゼカリア書9:9を知っていたため、ろばに乗るイエスを見て「この人こそ我々の王、救い主だ」とほめたたえました。

・「荷を負う」(マタ21:5)と訳されている言葉は、原文のギリシア語では「くびきを負う」という意味です。

説教

今日から五日後の金曜日は、イエス様がエルサレムで十字架に架けられたことを覚える日です。イエス様が十字架にかけられたのはなぜでしょうか。本日の聖書箇所では、エルサレムに入ったイエス様を人々が歓迎します。「旧約聖書で預言されていたとおり、ろばに乗ってやってきたこのイエス様こそが私たちの救い主だ」と人々は歓迎しました。イエス様をこんなに歓迎したのは、自分たちが欲しいものをイエス様が与えてくれると期待したからです。みんな、毎日生きていくのが大変でした。そこにイエス様がやってくれば、好きなことをやりたいだけやって生きていけるだろうと期待したのです。たくさん好きなものを食べたり、遊んだり、寝ていられると。

ところでみなさんは、「くびき」を知っていますか? 牛やろばなどの家畜が、二頭以上で力を合わせるために首に掛ける横木のことです。くびきがあると、牛同士が力を合わせることができます。だけど、くびきをかけられるた牛は、自分の思い通りには動けない大変さがあります。くびきの相手となる牛がいるからです。今日、イエス様は、くびきを負うろばの子に乗ってやって来たと言われます。

イエス様がこの世にやってきた目的は、私たちが「こんなことやりたくない。やーめた」と放り投げたことを代わりにするためでした。しかもイエス様は、自分一人だけでくびきを負って終わりにするのではなく、お弟子さんにも「あなたのくびきを背負いなさい」と言いました。

神様は、イエス様を人間のもとに遣わして、「あなたは一人じゃない。一緒に生きていこうよ」と呼びかけます。誰もが「こんなものを負いたくない」と言って放り出したくびきを、イエス様は一人で負い、十字架で殺されました。しかし、殺されて終わりではありません。「あなたも、くびきを背負おう。くびきを背負うのは大変だけど、あなたにはくびきを担う力がある。その力で、みんなと一緒に働き、誰かを助けてあげて」と、イエス様は命がけで伝えてくださいました。十字架は、あんまりおめでたいことのようには思えないけれど、私たちが生きていくためにイエス様が背負ってくださったくびきであり、救いです。

(執筆:秋久潤牧師)

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

旧版(1987年版)32番「ダビデのこ ホサナよ」、改訂版82番「ダビデのこ、ホサナ」。

やってみよう

☆聖書振り返りクイズ

聖書片手に、みんなでクイズに挑戦しましょう。難しい問題は、一緒になって探しても良いですね。

(Lv.1)旅がいよいよ終わり、エルサレムに入ろうとするとき、イエス様はある動物に乗りました。どんな動物?(答え:ロバ)

(Lv.2)人々はイエス様を歓迎して、どんなことをしたでしょう。(答え:自分の服や木の枝を道に敷き、「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と叫んだ)

(Lv.3)来週は、何の日でしょう。(答え:イースター)

(Lv.4)すばり、ダビデって、誰?(答え: 昔、ユダヤの国が一番上手く行っていた時代の王様)

(Lv.99)神に従い勝利を与えられた者がロバに乗ってやってくる、というのは旧約聖書でも預言されていました。さぁ、どこに書かれているでしょう。ヒントは、「第一の日課」です。礼拝で福音書しか読んでいないお友達は、大人の礼拝の週報をもらって「第一の日課」が何処か調べよう!(答え:ゼカリヤ9:9)


☆イエス様を迎えよう

イエスさまがろばに乗ってエルサレムに入城されました。大勢の人々は喜んで自分の服や木の枝を道に敷いて迎えました。このことを覚えて、服のかわりにハギレなどを敷いて道にしたり、手に持って♪「ダビデのこ、ホサナ」(こどもさんびか32、改訂版82)を歌って自由に振り付けをして踊りましょう。


☆消灯礼拝(改訂版こどもさんびかガイド P28~31 参照)

四旬節(レント)の期間は日曜日を除く40日間のこと。この期間は世の光であるイエスさまが苦しみを受けられさらに死なれたことを静かに思い起こし、イエスさまの生涯や十字架の死の意味を考えたり、イエスさまに従うとはどういうことかを考えてすごします。その間の6回の礼拝は6本のろうそくを立てて、クリスマスの時とは逆に、ろうそくの灯を1本づつ消灯して礼拝します(受苦日や聖金曜日に礼拝する場合は7本のろうそくを用意します)。

毎週できなければ、イースターの前日の土曜日にイースターエッグづくりとあわせて集まり、6週分することもできます。イエスさまが、十字架への道を歩まれたことを灯を消していくごとに心に刻まれ、イエスさまが私たちを愛しておられることを感じる礼拝となるでしょう。

はなしてみよう

・(話していてつらくなければ)最初は物凄く好きだったり熱中していたのに、あるできごとがきっかけで物凄く嫌いになってしまった、というものはありますか。どういうきっかけで嫌いになったのでしょうか。

・何かを、長い間「欲しい」と待ち続けたことはあるでしょうか。それで手に入ったものが、期待外れだったことはあるでしょうか。

・期待外れだと思っていたものに、思いがけない形で助けられたことはあるでしょうか。