イエス様にはどんな気持ちもぶつけることができる。「イエス様、ありがとう」だけでなく、「イエス様、どうしてですか」という祈りもしてよいことを知る。イエス様は私たちのすべてを受け止めてくださる。
信仰告白にはいろいろな言葉・状況がある。自分はどんな時に切実に祈るか、マルタとマリアに共感する部分はどこかなど、自分の感情を思い出しながらなるべく素直に語るといいかもしれない。
1.マルタとマリアは性格が対照的な姉妹として他の箇所でも書かれている(ルカ10章)。今日の箇所でも様子は対照的。
2.ラザロという名前は「神に助けられる人」という意味がある。
今日の箇所でマルタという人は、イエス様に「あなたはメシアです」と言いました。メシアとは救い主のことです。マルタはイエス様のことを救い主ですとはっきりと言ったのです。これを信仰告白といいます。そういえば、今月は色んな人の信仰告白の言葉を聞いてきましたね。目の見えなかった人が見えるようになったり、井戸にいた女の人がイエス様と出会って心が大きく変えられたりしました。
今日のマルタはどんな時にイエス様に信仰告白したでしょうか。今日のお話は、マルタとマリアの兄弟のラザロという人が亡くなったという出来事が書かれていました。ラザロは病気でした。イエス様が病気を癒されるお話は聖書に沢山出てきますが、ラザロの病気は癒されませんでした。マルタもマリアもイエス様を待っていたに違いありません。でもイエス様は、間に合わなかったのです。先週までに出てきた二人と違って、今日のマルタの信仰告白は嬉しい気持ちから出た言葉ではないのです。ものすごく悲しいときに、それでも出てきた言葉なのです。マルタは深い悲しみの中で、イエス様のことを責めながら、それでもイエス様の他に頼る相手がいませんでした。ですが、それならどうしてイエス様はすぐにラザロのところに来なかったのでしょうか。
15節にこう書かれています。「わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとって良かった。あなたがたが信じるようになるためである。」イエス様は私たちの願いがすんなりと叶うことよりも、私たちが信じる者になることの方を大切にされたのです。祈ることで大切なのは、神様に私たちの方を向かせることではなく、私たちが神様の方を向くことです。それは嬉しい時にはもちろんですが、より深いところからの真剣な祈りというのは、悲しみや辛さの中にあるときになされるのです。
ラザロはイエス様の言葉によって生き返りました。この出来事は、悲しみが喜びに変わること、イエス様がちゃんと私たちの悲しみを受け止めて、予想もしていなかった大きな喜びに導いてくださることを象徴しています。イエス様はそのような方です。私たちも心から祈りたいとき、私たちにはイエス様がいてくださることを思い出してください。
(執筆:市原悠史牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)9番「めぐみうけて」、改訂版9番「めぐみうけて」。
<準備するもの>聖書に出てくる人物の名前が書いてある紙、テープ
1 聖書に出てくる人物の名前を紙に書いておく。
2 自分には分からないように背中に①の紙を互いに貼りあう。
3 自分の背中に貼ってある人物は誰か当てるゲームになる。
・周りの人に質問をし、誰か当てる。
・3回まで質問することが出来る。
・質問は、はい・いいえで答えられる質問にする。
例:「私は男ですか?」「弟子の中にいますか?」「旧約聖書に出てきますか?」など
祈りとは、神様とお話しすること。願い事だけでなく、どんなことでも言ってよい。
・お祈りをする前とした後では心にどんな変化があるか。
・今どんなことを神様に話したいか。