新約聖書の中でも有名な言葉のひとつ。「独り子の何を信じるのか」に焦点を当てる。理解できなくても、覚えられたら素敵。
本来はニコデモとの会話の中で発せられた一言だが、説明し始めると長くなるので省いてよい。説教者にとっての「信じる」とはどういうことかを分ちあうだけでも豊かなメッセージになる。
1. 14節「モーセが荒れ野で蛇を上げたように」は、民数記21:4-9に書かれている。主に対して罪を犯した人々に、主は炎の蛇を送り、蛇にかまれた人は死んでしまった。しかしモーセが主の指示通りに青銅の蛇を作って掲げると、それを見た人は死ななかった。
2. ヨハネ福音書3:16の言葉は有名だが、ヨハネの手紙一3:16には似た言葉が、しかしさらに一歩先のことまで書かれている。
独り子を信じる、イエス様を信じるとはどういうことでしょうか。神様がいることを信じる?いると信じる人は良くて、神様なんていないって思う人は悪いということでしょうか。神様は、ご自分を信じる人だけに命を与えてくれて、信じない人のことは見捨てるのでしょうか。絶対そんなはずがありません。神様はすべての人に命を与えて下さいます。
今日の言葉には「世に独り子を与えた」とありました。この一言の中にはただイエス様がこの世に来られたということだけではなく、十字架でイエス様が死んでしまうことも含まれています。どうしてイエス様はそんなに痛い、苦しいことをしなければならなかったのでしょうか。それは、私たちが間違いをおかすからです。誰も傷つけたくないのに誰かを傷つけてしまったり、仲良くしたいのにケンカしてしまったり、本当は悪いことをしたとわかっているのに謝れなかったり…そんな時、本当に神様から罰を受けなければならないのは私たちのはずです。イエス様は、そんな私たちの身代わりになってくださったのです。神様は、私たちの身代わりにするためにイエス様を十字架につけたのです。
大切なことは、神様がそこまでして私たちに命を与えて下さっている、ということを信じることです。何も間違えずに生きることは誰にもできません。神様はそんな私たちをもう助けてくれています。もう命を与えてくれています。もう一緒にいてくれています。そう信じることが「独り子を信じる」ということです。神様が一緒にいてくださっているのだから滅びるはずがありませんね。もし失敗して心が弱っているときにこのことを信じられたら、信じられなくても誰かが自分にこの言葉を言ってくれたら、ちょっと力が湧いてくる気がしませんか。それに、お互いが神様からもらった命を生きていると信じられたら、お互いを大切にできますね。イエス様の十字架を見て、自分のことも、人のことも、大切にしていきましょう。
(執筆:市原悠史牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)5番「かみさまは」、改訂版49番「かみさまはそのひとりごを」。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)5番「かみさまは」、改訂版49番「かみさまはそのひとりごを」。
1 広い室内で同じ方向を向いて輪になる。その時の幅は狭い方が良い。
2 前の人の肩を持つ。
3 同じタイミングでしゃがむ。みんなで信じあって少しずつ行う。
4 後ろの人の膝に座り、安定したら手を放しても良い。
・誰かを信じる中で、願いが叶えられたり、温かみを感じます。
神さまの独り子であるイエス様も信頼していきましょう。
1. ニコデモはどうして夜にイエス様のところに行ったのでしょうか。その理由を想像してみてください。
2. ニコデモはヨハネ福音書7:50、19:39にも登場します。ニコデモはイエス様との出会いの後、どのように変化していったか想像してみてください。