神様にとって欠かすことのできない存在とされていることを伝える。
神様をお伝えするために一人ひとりが神様によって「地の塩」「世の光」とされていることを伝える。
・山上の説教に集う人々は群衆である。特別な階級に居る者ではなく市井の人びとであった。自分たちが神の御業を顕すなどと思ってもみないことである。
・塩は、食料の腐敗を防いだり、また遺体に塗ることによって処理を当時していた。ユダヤの人びとの生活にとっても欠かすことのできないものであった。
・「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」というのは、ギリシャ語の原典聖書にあたってみると所謂英語でいうところのbe動詞の現在形が用いられている。「~だろう」という未来のことがらではない。いま、あなたは「地の塩である」と宣言されている。それは、あなたが世に無くてはならない存在として在るのだということを示す。
・塩は当時貴重であった。古代ローマでは、兵士たちの給料を塩で払っていた。ラテン語で塩を「サール」と言い。サラリーマンとはこの「サール」と兵士たちの給料が「サール」で支払われていたことに由来する。また、古代ギリシャにおいても奴隷と同じ分量の塩で雇えたとありますから、金銭に価する貴重なものであったことをうかがい知ることができる。
皆さんは聖書に書いてあること、イエス様のことを伝えるためにどうしたら良いと思いますか?きっとほとんどの人は「イエス様のことを伝えるためには、ちゃんと聖書の勉強をして、普段の生活も清く正しくなければ相応しくない。」とか、「イエス様のことはよく分からないから伝える事なんて全然できないよ。と」いう人も居るかもしれませんね。
このお話を聞いた人たちも自分が神様のことを世の中に伝える事なんてできると思ってもいませんでした。そういうことは神殿で働いている祭司やレビ人、律法の専門家やファリサイ派、教会の長老さんたちがすることだと考えていました。私はそんなことできないよ、そんな資格も無いよと考えていたのです。
そんな人たちにイエス様は「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」と宣言されます。塩も光も欠かすことのできない大切なものですね。塩気の無い料理はあまり美味しいとは言えませんし、光が無ければ夜真っ暗闇の中で生活しなければなりません。
この時、イエス様は実はとてもビックリすることを言っているのです。自分は神様のこと、イエス様のことなんて伝える事なんてできないと思っている人たちに、あなたがたは世の中にとって、何よりも神様にとって欠かすことのできないと断言しているのです。神様を伝えることは特別な人がすることではなくて、あなたたちこそが神様をお伝えするのに大切な存在なのだよと言われたのです。
皆も最初に神様のことを伝えるためにどうしたらよいかと聞いた時、ドキッとした人も居たと思います。僕はそんなことできないってね。でも、今日のお話しを通して一人ひとりが神様をお伝えするのに欠かすことのできない存在として神様から祝福されている、必要とされている存在であることを知らされました。みんなの言葉、行動一つひとつを通して豊かに神様のことをお伝えすることができます。神様のお言葉を聞いて力づけられながら、みんなと一緒に神様のことを伝えていきたいなと願っています。
(執筆:竹田大地牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)45番「わたしたちのともだちに」、改訂版94番「ふしぎなかぜが」。
用意するもの:塩、綿、糸、わりばし、水、氷、氷をのせるお皿
1, わたを丸めて(1㎝~1,5㎝位)、糸を結び、一方の糸は、わりばしに結び付け、わたを水で湿らせる。(全体が軽く湿るくらい)
2, 氷の上に、1で作ったわたを乗せて、氷とわたが触れている所に食塩をかける。
3, 30秒~1分位待ったら、糸をそっと持ち上げてみよう。
塩には、味付けや物を腐らせないなど、色々な働きがあるよ。
・自分はどうやって神様のことを伝えられるか考えてみよう。
・「地の塩」「世の光」と思えない自分だと思うことがあれば、何故神様によって世の中に欠かすことのできない存在とされているのか考えてみよう。