「悔い改めよ。天の国は近づいた」を私の救いと解放のメッセージとして受け取る。
・洗礼者ヨハネが捕らえられたことにより、イエスはガリラヤに退き、ナザレを離れ、カファルナウムを拠点とされた。マタイはこれを預言が実現するためと説明している。歴史に翻弄されてきた地域から福音宣教が開始される。
・「天の国は近づいた」という宣言にある通り、キリスト(待ち望まれていたメシア)であるイエスが人の子として地に生まれ、私たちの隣人として生きてくださったことは、まさに死の陰の地に差し込む光。イエスの到来よって、救いはすべての人に及ぶ。神のみこころが地に満ちるのである。
・「悔い改めよ、天の国は近づいた」との宣言は、まず洗礼者ヨハネが3章2節で救い主の到来の預言として口にしている。そのヨハネが捕らえられたことを聞き、イエスはガリラヤに退かれた。マタイはイザヤ書8章23節‐9章1節を引用し、このことが神の計画に一致していることを示している。そしてヨハネの受難を受け、イエスが自覚的に苦難への道行きに進まれていることを示唆している。
・ガリラヤ地方から福音宣教を開始されたイエスは、湖畔からペトロたちをご覧になって声をかけ弟子として招かれた。ユダヤ社会では弟子が師事する教師を選んでいたが、これとは対照的。常に出会いの主導権はイエスにある。
洗礼者ヨハネが捕らえられた後、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、イエスさまは福音を宣べ伝え始められました。最初になさったことは、ペトロと呼ばれるシモンと兄弟のアンデレが湖で魚を取っている様子をご覧になって《わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう》(4:19)と声をかけ、弟子として招かれたことです。声をかけられた二人は、すぐに網を捨ててイエスさまに従いました。次に、別の二人の兄弟もイエスさまに呼ばれました。ゼベダイの子、ヤコブとヨハネです。彼らはお父さんのゼベダイや仲間たちと舟の中で網の手入れをしていた時にイエスさまから呼びかけられて従うようになりました。一緒にいた仲間たちやお父さんのゼベダイはびっくりしたかもしれませんね。でも、何も言わずに二人を見送っています。
それからイエスさまは弟子たちと一緒にガリラヤ中を旅されました。訪れる町や村の会堂(礼拝堂)では神さまのお話を語り教えられ、病気で苦しんでいる人たちがいれば癒して慰められました。弟子として招かれた人たちは、イエスさまのお話や癒しの業を一番近くで見聞きすることになりました。きっとびっくりしたり、感心したり、イエスさまについてもっと知りたいと思っ
たのではないかと思います。
皆さんはどうでしょう?イエスさまのお話や神さまのお話は好きですか?聞いていて嬉しく感じるお話もあれば、正直なところ聞いていてもよくわからないと思うこともあるかもしれませんね。わからないことがあっても、不安に思うことはありません。お弟子さんたちも最初からすべてを理解していたわけではありません。ただ、イエスさまに呼ばれること、イエスさまがお話しされることが私にとって大切なこと、嬉しいことと受け止めました。今私たちの目の前に、イエスさまは見える形ではおられません。でも、イエスさまは弟子たちを招かれたときと同じように、私たちに向かって呼びかけておられます。その声をしっかりと聴いてゆきたいですね。
(執筆:岡田薫牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)67番「ペテロはガリラヤの」、改訂版52番「しゅイエスはでしたちを」。
<用意するもの>
長方形に切った色画用紙、穴あけパンチ、リボン、カラーペンや色鉛筆
あればラミネートシート、ラミネーター
•まずは自分の好きな聖句を選ぼう
•聖書を開いたり、先生達に教えてもらったりしても良い。
•聖句が決まったら、色画用紙に書いて空いたところには絵を描いたり色を塗ったり、シールがあればシールを貼っても良い。
•ラミネートがなければそのまま、ラミネートがあればラミネートしてから穴あけパンチで穴を開け、リボンをつけて出来上がり。
本や手帳にはさんで、私達に掛けられるイエス様の声を聞きながら過ごしていきましょう
家族や大切な友達などにプレゼントしても良いでしょう。
・「人間をとる漁師」って何だろう?イエスさまに従うってどういうことだろう?
・ペトロやアンデレ、ヤコブやヨハネはイエスさまに従いました。彼らは仕事や家族を捨てしまったのでしょうか?(その後の弟子たちの様子は福音書を読んで捜してみよう!)