命名の背後にあるのは「神のみこころ」。「イエス」と名付けられたこの幼子を通して「神のみこころ」が実現する。
・主の降誕を12月25日と定めるようになってから(西方教会において)「八日たって」と記されているイエスの割礼と命名の日は「一月一日」であり、そのように覚えられ、守られ、祝われてきた。
・ この時代、多くの場合、生まれてくる子どもの名前は父親によって名付けられていた。しかし、福音書記者ルカは《幼子はイエスと名付けられた》と語るのみ。父親のヨセフも母親のマリアもこの幼子の命名に関しては主導権を持たず《これは胎内に宿る前に天使から示された名である。》とあるように、神によって示された名を受け止めるのみ。
・「神のみこころ」によって「イエス」と名付けられたこの幼子によって、「神のみこころ」が人間の救いのために時と場所を定めて歴史の中に具体化したのである。福音書は「イエスとは誰か」を物語り、我々は「イエスとは誰か」を知るようになる。
新約聖書の最初のページにはイエス・キリストの系図がある。新共同訳聖書では《アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図》(マタイ1:1)であるが、現代ヘブライ語訳では「ベン・アブラハム、ベン・ダヴィド、イエシュア・マシーアハ」とあるそうだ。ベン・○○というのは、○○の息子という意味であり、イエシュアは「ヤハウェの、あるは、ヤハウェは救い」を意味する。多くの男の子にこの名前がつけられていたという。イエシュア・マシーアハ(=メシア)は、「イエスはメシア(救い主イエス)」という意味となる。その他大勢のイエシュアとは違い、このイエシュアこそが待ち望まれた救い主(メシア)であるということを示している。
日本では1月1日は新しい年を迎えたことを祝うお正月のお祝いで賑やかなイメージですね。教会の暦では「主の命名日」という特別な名前がついています。モーセの律法には“男児は産まれて八日目に割礼を施される”という定めがあります。そして多くの場合はこの日に名付けも行われていました。私たちの教会では主の降誕を12月25日にお祝いするので、「八日目」は1月1日ということになります。ですから、今日は赤ちゃんイエスさまに「イエス」という名前が付けられたことを一緒にお祝いするのです。
ところで、皆さんは自分の名前の由来を知っていますか?また、誰が名付け親になってくれたかを知っているでしょうか?一人ひとりの名前には、それぞれ大切な思いや意味が込められていると思います。私の場合は、生まれる予定日が五月の中旬だと分かったときに、美しい新緑の中を爽やかに吹き抜ける薫風をイメージして選ばれたと聞いています。幼い頃はほかの名前にあこがれたこともありましたが、今では両親はじめ家族みんなで、私が母のお腹の中にいる時からいろいろ考えて、性別に関係なく用いることができる名前を用意してくれていたことに感謝しています。そして、この名前に込められた思いに応えるような生き方ができているだろうか?と時々考えます。
イエスさまの場合、名付け親はお父さんのヨセフさんでもお母さんのマリアさんでもありませんでした。《これは、胎内に宿る前に天使から示された名である》(2:21)とあるように、二人が結婚する前から神さまのみこころによって定められていた名前だったのです。さらに天使は「イエス」と名付けられる赤ちゃんは、インマヌエル《神は我々と共におられる》とも呼ばれる存在だと告げています(マタイによる福音書参照)。
イエスさまが神さまのみこころによってマリアさんに宿り、赤ちゃんとして生まれて来てくださったことを祝う降誕祭、そして「イエス」と名付けられたことを祝う命名日。はるか昔に起こった出来事を今日の私たちも記念するのは、昔も、今も、これからも神さまが私たちと共にいてくださることへの感謝と喜びを心に刻みわかちあうためです。
(執筆:岡田薫牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)21番「とおくのひがしから」、改訂版78番「とおくのひがしから」。
<用意するもの>
白い紙(コピー用紙等でOK)、太めのマジック(筆ペンでもOK)
出来そうなら習字道具を使って書き初めをしてみるのも良い
•白い紙にそれぞれ自分の下の名前を書き初め風に、漢字でもひらがなでもカタカナでも好きな文字で書こう。
•自分で書けない子は先生や大きい子達に手伝ってもらおう。
•自分の名前の由来を知っている人は、発表してみよう。
•名前の由来を知らない人は、おうちの人に聞いてみよう。
(漢字辞典やインターネット等を使って、名前の漢字の意味を調べてみるのも面白い)
自分の名前がどのような想いで付けられたのか、どんな意味が込められているのかなどを知り、自分の名前について改めて考えてみよう。
・イエスさまの誕生の知らせは荒野で羊の番をしていた羊飼いたちにもたらされました。羊飼いたちは天使が話してくれたことを人々に知らせていますが《聞いた者たちは皆羊飼いたちの話を不思議に思った》とあります。もし、皆さんが聞いた者たちの一人だったらどのような反応をしたでしょうか?
・飼い葉桶に寝かされている乳飲み子を探し当て、見聞きしたことがすべて天使の話した通りだったことを知った羊飼いたちは、神をあがめ、賛美しながら帰って行きました。その後の彼らはどのように生きたでしょうか?