「光」が与えられていることに喜んでいきましょう。
「光」を「光」として受け入れることが大切。私たちが思っているよりも、光は今も温かく大きく輝いていることを再確認することで、「光」が与えられていることに喜びを覚えることが出来るように目指していきたい。
・1:1を一日目とし、1:29,1:35,1:43と一日ずつ進み、2:1節で丸二日が経過していることでちょうど一週間が経っていることとなり、明確に創世記の始めの7日間が意識されていることが分かる。そのことから、今日の箇所は創世記の一日目と同じであると言える。
・イエス様が「言」として表されている。神が創世記の中で「光あれ」という言葉によって光が起こったということから、言葉によってそれらが創造されたことからその力を理解し、イエス様を「言」として表現していると考えられている。
皆さんは、星をじっくりと見たことがありますか?実は夜空をじっくり見ていると、パッと見た時に見える星以外にも、いたるところに星が輝いていることが分かります。今度大人の人と一緒に試してみてください。よーく見るとたくさんの星が見えますよ。
じゃあどうしてパッと見た時には見えないかというと、町の明かりが多いからです。たとえば周りに何も建物がない暗い山奥なんかに行くと、辺り一面の星空を見ることが出来ます。もしかしたらそんな星空を直接見たことがある人もいるかもしれませんし、映像や画像で見たことがある人もいるかもしれません。夜空一面に星が光っているのは、特別な場所の上でだけ輝いているわけじゃなく、周りが暗いから見えているだけなんです。実は私たちが普段住んでいる場所でも、ハッキリと見えないだけで星は変わらずに夜空一面に確かに輝いているんです。
普段は星がたくさん光っていることを見ることは出来ません。でも、暗い場所に行くとその光は良く見えるようになります。イエス様の光も同じように、私たちがちゃんと意識しないと、光っているのが良く分からない時がたくさんあります。でも、星がいつも輝いているように、私たちにもイエス様の光はいつも輝いているんです。今も光として来てくださったイエス様が、変わらずに私たちを温かい光で照らして守ってくれています。意識しないと見えない時もありますが、それでも変わらずに光り続けて下さっているのです。だから、どんな時もイエス様が守っていてくださると信じて、安心していいんです。そんな喜ばしいことが、2000年以上前のこのクリスマスの日に起こったのです。だから私たちは今日、その喜びを忘れないようにみんなでクリスマスを祝うのです。
皆さん、クリスマスおめでとうございます。このクリスマスの日に、イエス様が地上の光として与えられたことをみんなで喜んでお祝いしていきましょう。
(執筆:中島和喜牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)26番「いざうたえ」、旧版(1987年版)28番「もろびとこぞりて」、改訂版68番「かいばおけにねむる」、改訂版70番「いざうたえ」。
小さめの段ボール箱の側面に星を描き、カッターで切り抜く(一つだけ)
めうちで、その周りに穴をあけ、小さな星にする。
星の面が上になるように置き、横の面から手を入れられるようにその面は切り抜く。
部屋を暗くし、携帯を箱の中に入れ、非常灯をつけると、天井に星が映る。(その場合、決して穴を除かないように言い、みんなを座らせ、点灯する人は高い位置で行う。)
「おほしがひかる」(こどもさんびか改訂版 77番)を歌ってクリスマスをお祝いしよう
・「光」として輝いているとはどんなものか?答えはありませんが、みんなの「光」のイメージを話してみましょう。
・イエス様が地上に来られたことを、「あなたのために」来られたと思えますか?クリスマスを自分の喜びとして受け止められているか考えてみましょう。