イエス様の降誕の意味は何であるかを明確にする。
・救い主の待望は旧約の時代から望まれていたことであり、醸成された願いであった。それが成就するわけだが、彼らが望んでいた「救い」はかつてダビデの時代の繁栄の再興が望まれていた。そこに対し、神は「罪から救う」ためにイエス様を遣わすのである。
・イエスさまを通して「神共におられる」というインマヌエルが約束された。それは神の民の願いとは別の形であるが、罪赦され、神が共におられることを信じるところにこそ、真の豊かさがある。
・天のみ使いはイエスの歴史の始めと終わり、つまり降誕と受難と復活の時という大事な時に現れる。つまり、明確にそれらは神が起こした行動であると示されている。
・インマヌエルは「神共におられる」という意味であり、マタイ福音書は「神共におられる」という言葉で終わっていく。はじめと終わりに「神共に折られる」という言葉を記すことで、インマヌエルでマタイ福音書全体が包まれる形となっている。このような書き方は当時においてよく見られる手法であった。
小学生のころ、教会に忘れ物をしてしまって夜になってから取りに行ったことがあります。教会が家のすぐそばだったので、一人で裏口から入って取りに行くことになりました。裏口から入ったので階段までが遠く、礼拝堂を通っていかなければなりません。けれど、夜の教会に一人で入ることはそれまで経験したことがなく、電気も場所が分からずに、暗い中で礼拝堂に入っていきました。
何も音が聞こえずシーンとした中で、真っ暗闇の中、一人で礼拝堂を歩いていきます。礼拝堂は古い建物だったので、歩くたびにギシッギシッと音がします。暗闇にそんな音が鳴り響くので、私はとても怖くて、結局引き返して父親に一緒に取りに行ってほしいとお願いしました。父は笑いながら、一緒についてきてくれました。
一人で行ったときにはとても怖かった礼拝堂も、父親に電気をつけてもらい、一緒についてきてもらったので怖くなくなりました。さっきまではあんなに怖かった礼拝堂も、父親が傍にいてくれるおかげで、全く違う安心感を覚えました。
私たちは、一人でいるととても怖くなってしまいます。それは、何歳になっても同じです。一人でいるのってとても怖いんです。だから、神さまはイエスさま地上に送ることを通して、いつもあなたがたと一緒にいるよと伝えようとしたんです。そうやって、誰も一人ぼっちにならないようにと、私たちを助けようとしてくださったのです。
独り子を送ってまで伝えようとしたぐらいに、一人ぼっちでいて欲しくないと神さまは願ってくださったんです。だから、私たちはこのクリスマスが近づく時に、神さまからの「一人じゃない」という言葉覚えていたいと思うのです。決してあなたは一人じゃない。そのことを思い起こしながら、いよいよ来週に迫ってきた嬉しいクリスマスの日を、みんなで一緒に喜んでいきましょう。
(執筆:中島和喜牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)18番「そらにはてんしの」、改訂版65-1〜4番「しゅをまちのぞむアドヴェント」、改訂版132番「きみがすきだって」。
①イ・ン・マ・ヌ・エ・ルを一文字ずつ書いたカードを教会のあちこちに隠しておく。
②6枚のカードを探しだして、言葉にしよう。(聖書マタイ1:23)
③インマヌエルの意味を聖書から調べよう※1枚の厚紙に文字を書いて、パズルのようにバラバラに切ってピースにしてもおもしろい
・「一人ぼっち」を感じる時はどんな時でしょうか。その時は、どんなことをしてもらえたら嬉しいでしょうか?
・イエス様が一緒にいてくださると感じられた経験はありますか?また、感じられるような時とはどのような時でしょうか?