「来るべき方」が私たちの下にやって来てくださった喜びに満たされよう!
・洗礼者ヨハネは領主ヘロデに対し、自分の兄弟の妻をめとってはいけないと非難したことで牢に入れられている。彼は死が迫っている状態であり、そのような状態を5節では「貧しい人」として表されている。「貧しさ」は貧乏ということではなく、5章の山上の説教にあるような「心の貧しい人」を指していると理解できる。
・ヨハネが「預言者以上の者(9節)」と呼ばれているのは、これまでの預言者は救い主がいずれ来られることを告げていたのに対し、ヨハネは救いが決定的に近づいていること、そして救い主との出会いのために備えさせたことが理由である。救い主がいかに近づいているかを確認することが大切なことである。
・救い主は5節にあるように、様々な苦しみから解放してくださる方であることが示されている。救い主は裁きをもたらすものではなく、一人ひとりの苦しみに寄り添い、そこから解放してくださる方である。それが私たちに与えられていることを信じることこそ、福音の喜びである。
・5節の言葉はイザヤ書61章1節からきている言葉で、「貧しさ」の理解に役立ちます。
・ヨハネは14章にあるように、この後ヘロディアによって処刑されますが、その話が有名なオペラ「サロメ」の舞台になっています。
先週も登場した洗礼者ヨハネが今日も登場しました。けれど、先週とは状況が全く違います。なんと今日のヨハネは牢屋の中に入れられていて、とても苦しい状況だったんです。そこで、彼は弟子たちをイエスさまのところに送り、「来るべき方はあなたでしょうか?」と聞くことにしました。救い主はあなたですか?とイエスさまに確かめようとしたのです。もしかしたら、イエスさまから「助けてあげる」なんて言葉を聞きたかったからかもしれません。
でもイエスさまから助けに行くよって言葉は返ってきません。返ってきたのは、色々な苦しい状況にある人たちに救いが与えられるという約束でした。どうもイエスさまは直接ヨハネを助けには来ないみたいです。でも実はこの言葉は「大丈夫だよ」と教えているんです。5節の言葉は、どんなことが起こってもあなたには救いが約束されているから大丈夫だと言っているからです。
洗礼者ヨハネはこのことを信じたのです。大変な状況は変わりませんが、それでもイエスさまが大丈夫と言ってくださったから大丈夫なんだと信じられた。だから、イエスさまも「彼は偉大な人である」と言われたのです。
私たちはどうしても、「大丈夫だ」と言われても、不安になってしまうことがあります。私も臆病な人間なのでよく不安になってしまいます。特に小さい頃は酷くて、どれだけ「お化けはいないよ」と言われても暗いところは怖かったし、飛行機に乗るのも「事故が起こるんじゃないか」と怖くなっていました。ちなみに、大人になった今も飛行機に乗るのは不安で怖いです。
一度怖いことを考えてしまうと、どうしても「大丈夫」と言われても信じられません。それでも、「大丈夫」と思えた時、とっても安心するんです。だから、それを信じることが大事なんです。
イエスさまからは「大丈夫だよ」という言葉が与えられました。それを伝えるために、イエスさまは地上に来られたのです。だから、私たちはクリスマスが近づくこの季節に、もう一度何があっても神さまがいてくれるから「大丈夫だよ」という言葉を信じる大切さを思い起こしましょう。
(執筆:中島和喜牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)103番「どんなにちいさい」、改訂版65-1〜3番「しゅをまちのぞむアドヴェント」、改訂版131番「かなしいことがあっても」。
用意するもの…色画用紙、リボン、紐、ボールに貼る飾り用のシール、星型やツリーなどの型で切り抜いたものなど自由に。円の型を取るための直径6センチ位の丸い物。
1 色画用紙に型で、円を8個描く。
2 8個の円をハサミで切る。
3 切ったら、それぞれの円の画用紙を半月の形に半分に折る。
4 折った画用紙の外側になる面にのりをつけ、画用紙同士貼り合わせる。全部貼り合わせると丸くなる。
5 上になる方の一辺一か所だけ、紐を通す穴を、めうちであける。
6 穴にひもを通し、ボールの上のほうにリボンを結ぶ。
7 ボールに好きな模様を描いたり、貼ったりしてみよう。
・私たちはどんな時に不安になってしまうでしょうか?
・それは、イエス様が「大丈夫だよ」と言ってくだされば安心できるものでしょうか?