悔い改めることと神の国が近づくことは同時に起こること
・悔い改めは直訳すると「方向転換」であり、神の方向を向くと言う意味である。では神の方向を向くとは一体何だろうか。むしろそれ以外を向くとは一体何だろうか。神を見ないということは、自分の力で道を切り開こうとすることであり、常に自分だけを信じ、常に自分で責任をとらなければならない。むしろ、悔い改めはそこから解放されていくことであり、神様に背負われて生きていく安心感と喜びをもらうことである。
・私たちはよく悔い改めれば神の国が近づくと理解してしまうが、悔い改めるということ自体が恵みである。そのため、悔い改めと同時に神の国の接近があるのであり、その順番には注意しなければならない。
・4節にあるヨハネの描写はヨハネが預言者エリヤの再来であることを示している。(列王記下1:8)
・9節の「石」はアラム語で「エベン」、そして「子供」は「ベン」でった。「エベン」と「ベン」という似た音を持つ言葉であるため、この二つが対照的なものとして描かれていると考えられている。
皆さんはおんぶされたことはありますか?最近は密にならないようにと言われますからおんぶされることも減ったかもしれませんが、一度はおんぶされたことはあるんじゃないでしょうか。
私はおんぶって良いなぁと思うんです。だって自分で歩かなくて良いし、誰かの背中の温かさを感じて何だか安心するし。大人になるとおんぶされることはほとんどなくなってしまいますが、今でも疲れた時は誰かにおんぶしてほしいって思ってしまいます。残念ながら身体が大きくなってしまい誰もしてくれませんが。
自分の足で歩くこと。自分で行く先を考えること。一人で進んでいくこと。それは思ったよりも大変です。疲れるし、悩まないといけないし、一人だと寂しい。時々迷子になってしまうこともあります。自分だけの力で全部をやっていくことはとても大変です。そんな時に大事なのが悔い改めなんです。
今日の箇所で「悔い改めよ。天の国は近づいた。」と言われました。悔い改めって何でしょうか?よく「反省」と理解されることもありますがそうではありません。悔い改めというのは「方向転換」という意味です。つまり神の方を向きなさいという意味なんです。
神の方ってどこでしょう?むしろ私たちは今どこを向いて進んでいるんでしょうか。それは、さっき言ったように自分で自分の進む方向に決めていかなきゃいけない。自分一人で何でもやらないといけない。そう思うことこそ神さま以外の方を向いてしまっていることなんです。
神さまの方を向くということは、神さまがいつも助けてくれる、導いてくれる、傍に居てくれることを信じることなんです。そうやって心から信じられた時、それこそ私たちは神さまにおんぶされることになるんです。神さまが行く方を導いてくれるから安心。神さまがいつも傍にいてくれるから安心。そんな喜びを、悔い改めによって受け取るのです。そこにこそ、天の国と呼ぶにふさわしい喜ばしいところがあるのです。今日も神さまにおんぶされる喜びを抱えて、遣わされていきましょう。
(執筆:中島和喜牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)137番「きょうだいげんかを」、改訂版65-1,2番「しゅをまちのぞむアドヴェント」、改訂版15番「きょうだいげんかを」。
用意するもの…白画用紙・色画用紙(一人一枚ずつ)、鉛筆、色鉛筆やペン、ハサミ、カッター(危ない時は、大人が扱う)、のり、クリスマスのシール(一人4枚ずつ)
1 色画用紙に大きめに(縦横8㎝位)4つ窓の絵を描く。(自分の好きな形の窓、なるべくそれぞれ離して描く。
2 描いた窓の左側の一辺は切り残すようにして(切り落とさないように残す部分を違う色で描いておく)、描いた窓が開くように切る。(はじめに、カッターで少し切り目を入れ、そこからハサミで、線の通り切っていく。
3 4つの窓を開けるように切ったら、色画用紙を白画用紙に重ねてのりで貼り合わせる。(白画用紙の端だけにのりをつけて貼ると簡単に張り合わせられる)
4 窓を開けると白画用紙の部分が見えるので、その部分に好きなクリスマスの絵を描いてもいいし、言葉が書けそうなら「神様はみんなを愛しています」と書く。
5 窓に今日の日付、来週、再来週、そして降誕の日付をそれぞれ書く。
6 今日の窓を開けて、そこにクリスマスのシールを貼る。これから毎週日曜日、一つずつ窓を開けて、シールを貼ろう!
・神さまがいてくれて安心する時ってどんな時でしょう?