・教会暦における「全聖徒の日」とはどういう日であるかを子供たちに覚えてもらいましょう。
・聖書が語る言葉は神様の約束であり、そして、その約束は確かです。この約束によって、死を超えて神様に繋がっていることがどんなに大きな喜びであるかを子供たちの心の中にイメージできるように伝えましょう。
・キリスト教の暦は当然ながら西洋から伝わり、そして、西洋の教会のキリスト者たち(北半球)は秋から冬に向かい始めるこの季節―闇(夜)がより長くなり始めるこの時を天に召された人々を覚えるために用いました。闇の中に輝く光、神様は私たちの光であることをイメージしたのです。
・「貧しい」は実際、経済的に困窮することです。しかし「貧しい」という言葉は旧約聖書において更に深い意味を持ちます。「弱い」「不運」を意味し、生きることが辛く苦しく、弱い立場にあることを意味します。
・ルカ福音書において山の上とは神に祈る場所であり、そこから平地にくだるとはこの地上を生きる貧しく、飢え渇き、泣いている人々と共に、その傍らに一緒にイエス様がおられることを意味します。
今日は「全聖徒の日」です。この日曜日、私たちは天に召された人々を覚え、祈ります。皆さんにはおじいいちゃんやおばあちゃんがいますか?わたしのおじいちゃんとおばあちゃんは私が生まれる前に死んでしまいました。だからわたしは会ったことがありません。でも、幼い頃、母や父と一緒におじいちゃんおばあちゃんのお墓によく行きました。
皆さんは墓地に行ったことがありますか?墓地には、皆さんが生まれるずっと前、何十年も、もっとそれ以上前に亡くなった人たちが眠っています。そして、その一人一人を私たちは知りません。名前も、顔も、声も聞いたことがありません。でも、私たちは知っています。その人たちがどこにいるのかを。それは神様のお側、天です。
天はどこにあるのでしょうか?聖書が語る「天」は、わたしたちが見上げる空のずっと上(方角)ではありません。天とは神様がわたしたちと一緒にいてくださる場所、それが天、神の国です。だから、答えがここにあります。神様に信頼すること。「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。今、泣いて人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。」と約束してくださる神様を信じるのです。
そして、神の国では生きている人も、亡くなった人も、泣いている人も、お腹がすいている人も、みんなが忘れてしまっても、たとえ私たちが忘れても、神様は私たち一人一人を絶対に忘れることはありません。
私たちはいつでもイエス様(神様)と一緒です。神様は私たちを独りぼっちにさせません。だから、私たちもまた、泣いているお友だちや仲間外れにされたお友だちがいたら喜んで、自分がしてほしいことをお友たちにもしてあげましょう。
神様は私たちを励まし、そして言われます「天には大きな報いがある。」と。
(執筆:平岡仁子牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)51番「わたしはしゅのこどもです」(1,2)、改訂版123番「わたしはしゅのこどもです」。
今日の聖書のお話を聞いて“天の国”“神の国”はどんなところか、想像して描いてみよう! みんなで描いた紙をつなぎ合わせて、大きな一枚の絵にしよう。きっとそこは天の国そのものでしょうね。
<用意するもの>・色画用紙・色鉛筆・サインペン・えのぐ・折り紙など
・「神の国」ってどんな国だと思いますか?