イエスの癒しは神の祝福を与えることを知る。
手を置く行為は、祝福を与える動作でもあった。そして、祝福とは、命を生かす神の働きを受けることである。すなわち、祝福は、神がその命を喜び、生かそうとしていることを祝福される者に示すのである。
病気には、生物学的・医学的な「疾病」と文化的・社会的規範からの逸脱と見なされる「病」がある。
イエスの癒しは、社会から除け者にされた人を社会生活に復帰させる「病」の癒しでもあった。
安息日は、働いてはいけない日であり、病人を癒すことも禁じられていた。
イエスさまのいるところでは、働いてはいけない安息日という日がありました。そして、その日には病気の人を治すこともしてはいけませんでした。
ある安息日に、イエスさまは18年間も腰が曲がってしまっていた人に手を置いて、腰を治してあげました。この人は曲がっていた腰がまっすぐになって、元気になることができました。
しかし、この日は病気の人を治してはいけない日です。どうしてイエスさまは、病気の人を治してはいけない日に、腰の曲がっていた人を治してあげたのでしょうか。
イエスさまは、病気を治してはいけないという決まりよりも、病気で苦しんでいる人を大事にしたのです。病気を治してはいけない日でもイエスさまは病気の人が目の前にいれば、その人を元気にすることを一番にするのです。なぜなら、イエスさまにとっては、どんな決まりを守ることよりも、病気の人が元気に生きられるようになることが一番だからです。
イエスさまは、私たちが元気に生きることを望んでおられます。それは、何よりもイエスさまが私たちを大切に思ってくださっているからです。だから大丈夫。私たちのことを一番に思っていてくださっているイエスさまが、私たちと一緒にいて私たちを元気づけてくださいます。
(執筆:関満能牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)123番「かなしいときにも」、改訂版132番「きみがすきだって」。
*見えないものを手で触って、何だかわかるかな?
用意するもの…段ボール箱(広い面の片側はガムテープで閉じておく。反対側の面は切り落とす⇒中が見えるように置く。その両側の側面に手が入る位の穴をあける。)
*これを用意するのが大変な時は、目隠しをしてもいいですよ。
触ってわかる物、危険のないものを用意する。(野菜、果物、おもちゃ等々)
1 触る人は後ろを向いて見ないようにする。箱の中に触るものを置く。ほかの人は見えても答えを言わないようにする。
2 触る人は、箱のわきの穴から手を入れ、中のものを手で触って、何か当てる。(わかりにくい時は、ヒントを出してあげてね。)
*見えなくても、手で触ることでわかるということを経験できるといいですね。
・どうしてイエスさまは、腰の曲がった人を治してあげたのでしょうか。
・イエスさまに腰を治してもらった人はどんな気持ちだったのでしょうか。