本当に大切なものは何かを考える。
① 本当に求めるべきものは何かを教えます。
② 金持ちの愚かさは、関心が自分にだけ向けられているからです。
③ お金持ちは自分の財産を守ることに必死です。目を向けるべきことは神様との関係です。
④ 目に見える者は有限、神様との関係は無限(永遠)です。
⑤ 7月10日の「説教作成のヒント」とつなげて考えるといいでしょう(下記)。
[以下、7月10日の説教作成のヒント]
① [善きサマリア人のたとえの直前のルカ10:27で、イエス様の問いに律法学者の専門家が「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』」と答えさせられて、]イエス様が神様を愛することと隣人を愛することの二つの教えを一つのこととして教えられたところに意味があります。
② 神を愛するという事と隣人を愛することがつながっていることがポイントです。
① 19節で金持ちが自分に「食べたり飲んだりして楽しめ」と言っているのは、肉体的な命と満足だけを考えているからです。
② イエス様が考えられる「命」は肉体的な命だけでなく、神様との関係です。
Aくんは、おもちゃや欲しいものがあると、我慢できなくなります。パパやママに「買って、買って」といつもおねだりしています。パパとママは迷ったけれども、あまりにも一生懸命に言うので買ってあげることにしました。ところが、A君はあんなに欲しがっていたのに手に入れてしまうと、二、三日は大切にあそんでいたけど、すぐに飽きてしまってそのおもちゃには見向きもしなくなり、別の物が欲しいと言い出しました。パパとママはとても悲しくなりました。
こんなことってみんなはありませんか。私たちは物に対する気持ちがとても強く、自分のものにしたいという気持ちが強くあります。欲しい時には、どうしたら手に入るだろうか、手にすることが出来たらどうやって遊ぼうか、いろいろ夢が膨らみます。しかしそれが実現するとその夢はすぐにしぼんでしまって次の夢が現れてきます。
イエス様がたとえ話をされました。ある金持ちの畑でたくさんの麦が取れました。この人は「これで何の心配もなく安心して遊んで暮らせるぞ。待てよ、このたくさんの麦をどうしよう。そうだ、新しい倉を建ててそこにしまっておこうと考えました。」そこでイエス様は言われました。もしこの人の命が今夜取られて死んでしまったらどうだろう。残したものは誰のものになるだろうか。物はなくなることがあるし、人はいつ死んでしまうかわからないのです。いったいこの人にとって何が大切なことだったのでしょうか。
フィギュアやおもちゃでも、集めることは悪いことではありません。大切にすることが大事です。それは私たちの気持ちを喜ばせます。でも物とは別に大切なことがあります。それは神様を信じる心です。これを「信仰」と言います。神様を信じる心は、なくなったり古くなったりすることはありません。神様を信じる心は私たちにとって一番大切なことです。
(執筆:松岡俊一郎牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)53番「しゅにしたがいゆくは」、改訂版119番「しゅにしたがうことは」。
紙をつかって色々の半分を作ってみよう。
折紙で横に折っても縦に折っても半分が出来る。三角に折っても半分になる。矩形(長方形)の紙ではどうしますか。星形や六角形など色々の形で半分にするにはどうしたらいいでしょう。
うれしいこともかなしいことも、お互いによく話し合うことで、分け合うといいですね。
あなたにとって大切なものは何ですか?