赦すことができない人間の心と赦してくださる神の愛
友だちに悪いことをされても赦してあげましょうというような道徳訓にならないように注意する。
理不尽を我慢するのではなく、理不尽を変えていく神の愛に委ねることができると伝える。
現代では度量衡に国際基準があり、1グラムは世界中どこに行っても1グラムで計量されますが、昔は地域によって秤の基準が異なっていたので、同じ1グラムでも使う秤によって異なる重さでした。
学校で嫌なことをされたことがありますか。そういう時に大人から仲良くしましょうと言われて「ごめんなさいって言って謝ってるんだから赦してあげましょうね」と言われたりした経験がありますか。今日の聖書のお話には「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」と書かれています。悪いことをする人をも神様は愛しているのだから、私たちも嫌なことをされたって赦してあげましょうと言っているのでしょうか。そんなことはありません。嫌なことをされたら、はっきり嫌だと言いましょう。我慢することはありません。仲良くすることは大事ですが、嫌な思いを我慢してまで仲良くすることは、本当に仲良くしていることにはなりません。赦せないことは赦せないと言って良いのです。相手は悪気があって嫌なことをしているのではなくて、嫌なことだと気づかないでしているかもしれません。だから、相手にちゃんと伝えた方が良いのです。そうすることで本当の仲直りにつながります。嫌だと感じる基準は人それぞれです。同じことでも嫌だと思う人もいれば楽しいと思う人もいます。人によって赦せることもあれば、赦せないこともあります。私たちは一人ひとり形の違う物差しや秤で物事を判断しています。もしかしたら自分も誰かを悪気なく知らない間に傷つけたり嫌な思いをさせたりしているかもしれません。イエス様は「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」と私たちに語っています。これは我慢して赦しなさいと言っているのではなく、自分の物差しや秤が絶対に正しいと考えて、相手に仕返ししたり傷つけたりしないでほしいという神様の思いです。仕返しは人間のすることではないと聖書に書いてあります。神様は傷ついたあなたを癒すと同時に、誰かのことを傷つけたあなたを癒してくださいます。
(執筆:多田 哲牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)137番「きょうだいげんかを」、改訂版15番「きょうだいげんかを」。
<用意するもの>
トランプ位の大きさの紙(人数分)
①カードにどんなことをしてもらうと嬉しいか考えて1人1枚書いてみましょう。
②カードを裏向けにして、1人ずつ順番に1枚カードを取ってもらい、書いてあることを発表する。
③自分がひいたカードに書いてあることをこの1週間のうちに実行してみましょう。みんなの書いたカードを大きな画用紙などに貼っても良いですね。
どうしても赦せないことがありますか、もしあれば、どうしますか。
人それぞれ物事の基準は違いますが、神様はどのように私たちを見ていると思いますか。