4:18のこの聖書の言葉、すなわちイザヤ書61:1-2の箇所には、救い主の使命とその役割が語られています。預言者イザヤが予言したことが、今イエスをとおして語られた言葉を耳にしたとき実現したと、人々の救いを先取りしてイエスは語っています。
・旧約のイザヤ書を通して、イエスが救い主であることを明らかにしています。
・イエスが読まれたイザヤ61章には、メシア(救い主)の4つの働きが語られています。それは、「囚われ人に赦免」「盲人の目が開かれること」「虐げられている人々(打ちひしがれている人々)に自由」、そして「主の恵みの年を告げ知らせる」ことでした。そのためにメシアとして、父のもとから遣わされたのでした。
「主の恵みの年」とは旧約聖書で「ヨベルの年」(レビ25章)と呼ばれるもので、50年ごとにやってくる解放の年を指します。雄羊(ヨベル)の角でできた角笛が各地で吹きならされ、ヨベルの年が告知されます。
みなさん、百万本のバラという有名な歌がありますが、今日のお話はたった一本のバラのお話です。
ある日、一人の若者がパリのリュクサンブール公園のそばを通りかかりました。彼の前にみすぼらしい姿のおばあさんが目に入りました。彼女は通行人からの施しを待っているのです。彼女は、物乞いの眼差しでおそるおそる若者に手を延ばしました。貧しい若者はポケットに手を入れましたが、銅貨一枚さえ見つかりません。それでも彼は物乞いのおばあさんの前を素通りすることができず、持っていた一本のバラをおばあさんの膝元(ひざもと)に置きました。不幸に打ひしがれているそのおばあさんは、感動に身を震わせ若者の手をつかみ接吻しました。それから、おばあさんは、このバラをにぎりしめて公園から去っていきました。この物乞いのおばあさんには、その日は、もう他にお金の施しを必要としなかったのです。この若者の名前は、ドイツ文学の最高の叙情詩人(じょじょうしじん)リルケでした。(G・ベーギ神父著「西から陽が上る」より)
私たちは皆、公園の柵にもたれているそのおばあさんかも知れません。そして、リルケ青年もそうだったのでしょう。しかし、貧しく若きリルケは、おばあさんの前を素通りすることができず、持っていた一本のバラを老女の膝元に置くしかできなかった行為をして、貧しさの中でもひとつの優しさを差し出すことを忘れませんでした。そんな貧しさの中にも、人に幸福のバラを差し出すことを忘れなかったリルケと、そのバラを受けて感謝するおばあさんの姿が描かれています。
この物乞いのおばあさんには、その日を生きるためには、お金が何よりも必要だったでしょう。しかし、そのお金よりもっと大切なものを受けたのです。それは、百万本のバラではなく、たった一本のバラでした。一本のバラではお腹は満たされません。しかし、このおばあさんにとって、ひょっとして生まれて初めて、人の温もりや自分が受け入れられたことを実感した瞬間だったのかもしれません。この一本のバラは、まさに命となり、何にも変え難い救いとなったのでした。
「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」とイエスさまは言われます。貧しくても優しさを忘れなかったリルケと、人の優しさと温もりを必要としていたおばあさんに、これまで経験したことのない恵みと喜びが一本のバラをとおして与えられたように、救いの約束が、神さまの恵みが告げられたのでした。私たちはどんな時にも、なお愛のバラが与えられていることを忘れてはなりません。私たちは、いつも神さまからこのかけがえのない一本のバラをいただいています。「あなたは、なくてはならない必要な存在」という言葉がどこからか聞こえて来るようです。何にもましてして、神さまの愛を耳にした時に起こる大きな喜びを覚えつつ、神さまへの感謝をこめて、この一週間を過ごしてまいりましょう!
(執筆:渡邉 純幸牧師)
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)60番「かみよわたしの」、改訂版6番「イェスさまのことばが」。
用意するもの:色画用紙をハートに切ったもの(人数分より多めに)、大きめの紙(1枚)、
マジックなど
① 幼稚園や保育園や学校や自宅で嬉しかったことや楽しかったことは何でしょう。
ハートの紙に書いてみましょう。その経験は神様からのプレゼントです。たくさん書いてもいいですよ。絵でもOK!
② それぞれが書いたハートを大きい紙に貼っていきます。自由に貼っても良いし、リースのように丸く貼ってみるのもステキですね。
③ 最後にたくさんのありがとうのお祈りをしてみましょう。
・「説教作成のヒント 」のとおり、メシア(救い主)の4つの働きが語られています。救い主の誕生とその役割を、ご一緒に考えてみましょう。
・お話しの中の、一本のバラでこの物乞いの老女は、生きる意味と人生が変わりました。イエスさまとの出会いにより、弟子となった人たちが舟を捨て、網を捨ててイエスさまに従ったことを思い起こし、「私とイエスさまとの出会い」をご一緒に考えてみましょう。