・いつも心の目を覚まし、いつもイエスさまの恵みの御業に感謝しつつ、イエスさまと共に歩むことができますように、どうか御言葉によって弱い私たちを導いてください。
・十字架におつきになる前夜、オリーブ山のゲッセマネの園でひざまずいて、汗が血の滴るように苦しみもだえながら、必死で祈っておられたイエスさま。その時弟子たちは《悲しみの果てに眠りこんで》しまっていました。イエスさまが《誘惑に陥らないように祈りなさい》と言ってくださっていましたのに。しかしながら、そのような心身ともに弱い私たちのことを、イエスさまは何もかもご存じです。クリスマスソングが流れる町の喧騒ではなく、ありのままの自分をみつめ、心静かにイエスさまを待ち望みましょう。
・《第一の月の十四日の夕暮れが主の過ぎ越しである》(レビ記22:5)と書かれています。ユダヤの暦は太陰暦ですから、まもなく満月(十五日)に近い月明りのもと、ゲッセマネの園で、おそらくオリーブの老木のもとでイエスさまは祈られたのでしょう。いつも父なる神さまの御心を聞いておられました。
《それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう》。私たちには、とても想像もつかないことが起こるのですね。およそ6500万年前にも大事件がありました。大きさが10kmもある巨大ないん石が、今のメキシコのあたりに衝突しました。その後でぶ厚い土ぼこりのような雲が地球全体をおおい、太陽の光も地上に届かなくなり、植物のほとんどが枯れてしまいました。そのため、そのころ地球上で一番強かった恐竜たちも滅んでしまいました。
しかしながらイエスさまは、どんなに恐ろしいことが起こっても、あなたがたは《身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ》と言われます。《あなたがた》、つまりイエスさまのことを知っている私たちにとっては、「解放の時・あがないの時」だとイエスさまは言われます。この世のきまりでは、私たちが何か人に迷惑をかけたら、それ相当の償いをしなくてはなりませんね。しかしながら、イエスさまは全く無償でわたしたちの過ちを赦すために、身代わりとして十字架にご自身をささげてくださいました。
イエスさまが再びこられる「終わりの日」、いつ、その日が私たちに訪れるかは分かりません。《不意に罠のようにあなたがたを襲うこと》があるかもしれません。ですからイエスさまは、《人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい》と言われます。私たちの体は弱いですから、眠らないと体はもちませんね。しかしよく考えると肉体よりも、心の方がもっと弱いのです。さまざまな生活の思い煩いのために心が鈍くなっている自分、神さまの方に心を向けていない、祈っていない、そういう自分の姿を自分自身が一番よく知っています。ですからイエスさまは,《いつも目を覚まして祈りなさい》と、私たちを励ましていてくださいます。神さまのみ恵みに感謝しつつ、今日から始まるアドヴェント(待降節)の時を、イエスさまを待ち望むときを、いつでもイエスさまの前に立てるように過ごさせていただきましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)102番「イエスさまのおこえが」、改訂版6番「イェスさまのことばが」。
<用意するもの>画用紙、リボンや毛糸、穴あけパンチ
・画用紙をハートの形に切って、それぞれお祈りしたいことや神さまにありがとうの感謝など、子どもの年齢に合わせて書く。
例「お友達に優しくできますように。」「神さま、家族をありがとう」
「世界中のみんながごはんが食べられますように」「いつも元気でいられますように」
などなど。
・穴あけパンチで両サイドに穴を開けて、リボンや毛糸で結んでいく。
・出来上がったら、みんなでお祈りをしましょう。
・《いつも目を覚まして祈りなさい》とは、具体的にどうしなさいとおっしゃっているのでしょうか?