私たちの教会の基礎となる、マルティン・ルターの基本的な教えを学ぶ。またちょうど10月31日が礼拝の日にあたるので、宗教改革記念日を共に祝う日になればと思います。
ルターは次のように言っています。「キリストはわたしたちを人間の義務から解放されたのではなく、永遠の怒りから解放してくださったのです。それはどこですか。それは良心においてです。それがわたしたちの自由の限界であって、それ以上に進むことはできません」。
私たちにとって自由とはなんでしょうか。何にもとらわれない心といえるでしょうか。ルター-のことばのように、自由とは義務からの解放ではなく、良心における永遠の怒りからの解放といったほうが、わかりやすいかもしれません。罪からの解放。そのためにイエス様の十字架があるのです。
私たちは「ねばならない」にとらわれてしまいます。しかし、問題なのは「ねばならない」という義務にとらわれて、神様からの自由を見失ってしまっているということです。私たちはキリストを信じる信仰によって、とらわれから解放されています。「ねばならない」から行いがあるのではなく、神様の愛と自由をいただいているから「そうせずにはおれない」が愛と奉仕の原点です。そこに神様からいただく自由があります。
10月31日は「宗教改革記念日」です。私達の教会はルター派教会で、ルターの信仰を受け継ぐ教会です。宗教改革とは当時の16世紀のローマ・カトリック教会が正しい福音信仰に立ち戻ることを聖書に基づいて訴えたものです。
神様がイエス・キリストの十字架と復活によってのみ、私たち人間の罪を赦し、人間はイエス・キリストにおいて示された神様の恵みに基づいて生かされていくことを強調しました。ここから、ルターの有名な言葉「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」 という、宗教改革の三大原理が生まれたのです。この3つの「のみ」を一言でいえば「キリストのみ」になります。私たちの救いは「キリストのみ」しかありません。
10月31日は「宗教改革記念日」という日です。ちょっと難しいですね。でもみなさんのルーテル教会にとっては大切な日です。500年前から大切な日で、ルターさんが教えてくれた「信じる心」の大切さをずっと心にもって歩んできた教会がわたしたちの教会です。
ルターさんは、私たちが神様の子どもとなるために3つ大切なことをおしえてくださいました。今日は覚えてくださいね。いくよ!「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」です。言葉は難しいですが、大切な3つだからぜひ覚えて下さい。それではもう一回いうよ!「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」。もう覚えましたね。忘れないでくださいね。今日の礼拝ではこの3つを覚えてくれたら先生はとっても嬉しいです。
それじゃ質問です。「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」っていったい何でしょうか?これはみんなが神様の子として生きる「救われる」ことに大切な3つなんです。どういたら私たちは神様に愛される子どもになれるかということです。その一つは「聖書のみ」。これはわかるよね。聖書って何ですか。毎週礼拝で読まれるこの分厚い本ですね。これのみって。ここには何が書いてあるかと言えば、全部イエス・キリストのこと。どこを読んでもイエス様につながっているんです。「聖書のみ」ってつまりイエス・キリストに全集中です。次に「恵みのみ」は何だろう。これは私たちが生きていく上で必要なものはすべてイエス・キリストからやってくる。もっと言えばイエス・キリストと共にいきること、いつも一緒にいること。生活の中でイエス・キリストに全集中です。面白いね。2つとも同じことを言っていますね。3つ目の「信仰のみ」。これもイエス・キリストが与えて下さる信じる心のみが必要。だから信仰を与えて下さるイエス・キリストに全集中です。あれあれ、そうやって考えていくと、もうわかりましたか。「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」って、イエス・キリストに全集中ということなんです。
ルターさんが500年前に教えてくれたこと、それがいまも私たちの大切な教えになっています。これがなきゃ神様の子どもにはなれないからね。みなさんもぜひ「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」を覚えて下さい。そしてこの3つの「のみ」がでてきたら合言葉は一つ!「イエス・キリストに全集中」です。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)85番「かみさまにかんしゃ」、改訂版137番「かみさまにかんしゃ」。
ルターの紋章について
黒い十字架についた赤いハートは、死んでよみがえったキリストへの信仰、
その周りの白いバラは、この世を超えた喜び、慰め、平和を、
空色の地は天の始まりを表し、それらを囲む金色の輪は永遠にして高貴な救いを与えられてことを象徴しています。
ルターさんが教えてくださった3つののみを覚えましょう。その一つ一つは何を示していますか。みんなで話し合ってみましょう。