人生の中で出会う、痛み苦しみ。その中でどんな叫び声をあげるでしょう。誰にむかってこえをあげるでしょうか。イエス様はその叫び声を聞いてくださるお方です。
一言の重みというのがあります。何気なく言った一言が、言われた方の人生を左右することもあります。また、 言葉が自分を離れて自由に歩き出すこともあります。言った方はそんなつもりではなかったのに、言われた方は傷つくこともあります。言葉によるセクハラも、受取手がどう感じたかです。言葉とはプラスにもマイナスにも 働きます。その中でも最後の一言は、大きな意味を持つ言葉です。
最後の言葉や行動が強くのこることは「新近効果」と言われています。これは初めて会ったときの第1印象とともに、その効果はとても重要です。駅のホームでの別れのときなど、姿が見えなくなる最後まで手を振っているとか、扉が閉まる瞬間の「またね」の言葉などはいつまでも印象に残ります。
イエス様は「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。「信仰が」。これは心強い励ましです。信仰によっていつも力が与えられている。いつも信仰と共に私がいるよという励ましと、愛に満ちています。そのような、信仰を毎日いただいている私たちは最高に幸せなのです。
エリコの街はエルサレムから東へ30キロ離れたところにある、海抜マイナス250メートルの所にあります。イエス様が洗礼を受けられたヨルダン川も近く、エリコの街からはイエス様が悪魔から誘惑を受けられた山も見ることが出来ます。ここには聖書では有名なザアカイさんも住んでいました。
マルコによる福音書は65~70年に書かれたと言われています。最初に書かれた福音書です。この目の不自由なバルティマイを癒す話は、共観福音書マタイ、ルカにもでてきます。しかし、名前が記されているのはマルコ福音書だけです。きっとマルコ福音書が書かれたときは、このバルティマイさんはみんなが知っていた人だったのでしょう。癒された後、お弟子さんになったのかもしれません。きっと私はイエス様にこうやって癒していただいた、目が見えるようにして下さったという証をしていたのではと思います。実際にイエス様から癒していただいた人の証を聞いた人々は感動を持って聞いていたのではと思います。
赤ちゃんが病気になるときって急な時が多いですよね。さっきまで元気で走り回っていたのに、次ぎの瞬間は 高熱を出して苦しんでいることがあります。みんなの弟や妹さんも病気になった時を思い出してください。自分 の口では苦しいと言えないのでしんぱいですよね。
日曜日のことでした。○○君の家でのできごとです。夕食まで元気だった妹が、いきなり高熱をだしてぐった りしたのです。「もしかしたら」と思っていたら病気でした。赤ちゃんが病気の時、家族はおろおろしてしまいま す。やれ、頭を冷やせ、救急車だ、医者に電話だ、このまま直らなかったらどうしようと、パニックになってしまいそうでした。
今回は早い時間でもあったので、○○君もその様子をみていました。○○君にとっては初めての経験で、パニックでした。普段は言うことも聞かない○○君でも、そのときの協力は素晴らしいものでした。○○君はそのパニック状態でも、まず祈りだしたのです。それは必死の祈りでした。「神様、○○ちゃんを助けてください」と涙声で祈っていました。そして何を思ったのか、家中の十字架を持ってきて並べ、「○○ちゃん大丈夫だよ、ここにイエス様がいるよ」と励ましていたのです。そして、祈りは聞かれました。神様は信じる者の祈りを聞いてくださいます。朝には熱が下がっていました。
私たちは、突然の苦しみに出会うと、どうしても後ろ向きに考えてしまいます。なにか悪いことをしたとか、もうだめだとか。しかし、本当にだめなのでしょうか。そのようなことにぶち当たったときに、どうしたら前向きに考えることができるでしょうか。それは《信じる》ことです。神様はきっと助けて下さる。イエス様は共にいて下さる。イエス様の言葉は「あなたの信仰があなたを救った」と言われます。
バルティマイさんは目が見えませんでした。でもイエス様が来られると聞いて、イエス様だったら必ず見えるようにしてくださると信じて叫びました。その叫びをイエス様は信仰と呼んでくださったのです。私たちも心からイエス様を信じて祈るとき、必ず助けて下さいます。大切なことは信じて祈ることです。きっといつまでも心に残るみ言葉をイエス様はくださいますよ。「あなたの信仰があなたを救った」よと。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)120 番「どんなときでも」、改訂版129 番「どんなときでも」。
*スタート地点→折り返し地点(ここに手に持てるように作った十字架を置く)→ゴール
次の組にタッチ。
① 二人一組になり、列に並びます。
② 一人は目をつぶり(A)、もう一人(B)は目をつぶっている人の腕を組んで、見えないのを助けま
す。二人でゆっくり歩き、折り返し地点まで進みます。
③ 折り返し地点に来たら、目をつぶっていた人(A)は目を開け、助けていた人(B)は十字架を持っ
て、先に立って歩き、(A)の人は(B)の人の後についていきます。
その時、(B)の人は、まっすぐではなく、いろいろな所を歩いてゴールまで行っていいです。
(A)の人は、後ろをちゃんとついて同じ道を行ってくださいね。
④ 次の組の人に十字架を渡して、タッチ。次の組の人は十字架を持った人(B)の後に(A)の人がつい
て歩き、先程と同じように自由に歩いて、折り返し地点まで行きます。
⑤ 折り返し地点で十字架を置き、(A)の人は目をつぶり、(B)の人は腕を組んで助けてあげてゴールま
で一緒に歩いて戻ります。そして、次の組にタッチ。
これを繰り返します。
*(A)の人と(B)の人を入れ替えてやってみてください。
とてもつらいとき、苦しいとき、みんなはどうやってそれを乗り越えますか?自分しか頼るものはありませんか。そんな時にイエス様が共にいて助けて下さると信じるにはどうしたら良いでしょうね。どんな祈りをしますか。