イエスさまは悪霊の頭なのではなく、聖霊に満たされた方であることを知る。
ベルゼブル論争と言われているテキストで、イエスが話されたたとえ話しもやや難解である。テキストは、聖霊によって生まれ、聖霊に満たされていたイエスが、敵対者たちによってベルゼブル呼ばわりされていたことを伝えている。しかもそのような悪意に満ちた根も葉もないデマに、イエスの身内までもが引きずり込まれてしまう。そのような家族に幻滅したのか、取り押さえに来た身内を前にして、イエスは「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」と告げる。
イエスは聖霊に満ちた方であり、神から与えられた聖霊の力によって福音を伝え、人々を癒してくださる方であることをしっかりと伝えたい。
「ベルゼブル」とは「悪霊の頭」を指す。悪霊は「サタン」とも呼ばれるが、サタンの中でも最も強いのがベルゼブルとされている。「聖霊」とは全く相反する存在である。
イエスさまは神様の言葉をたくさんの人たちに伝え、また病気にかかった人たちを治してあげたので、どんどん人気が高まっていきました。すると、それを良く思わない人たちが、「イエスは気が変になっている」「あの男はベルゼブルに取りつかれている」とデマを流し始めたのです。
「ベルゼブル」って何だか怪獣の名前みたいだけど、意味は「悪霊の頭」。つまり悪魔の中で一番強い悪魔です。イエスさまの悪口を言う人たちは、あいつはベルゼブルの力でみんなの病気を治しているのさ、あいつはサタンの中のサタンなんだ、と言いふらしましたが、これは真っ赤なウソです。なぜならイエスさまは、悪霊とは正反対の聖霊によって生まれ、いつも神様から与えられる聖霊に満たされていたからです。それでイエスさまは「聖霊を馬鹿にする人は神様から決して赦されませんよ」と厳しく言われたのです。
イエスさまが話されたたとえ話は少し難しいですね。「どうしてサタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない…」。同じ日本の国の中で、もし九州と四国が争ったり、本州と北海道が争ったりしたら、日本の国は滅茶苦茶になるよね。また同じ家族の中でも、お父さんとお母さんがいがみ合ったり、兄弟同士喧嘩ばかりしていたら、落ち着かないよね。同じように、サタンがサタン同志内輪もめしたところでうまくいきませんから、サタンがサタンを追い出したりはしないのです。むしろサタンはサタン同士で結託して、人間にもっと悪いことをしようとたくらむからね。そんなサタンをイエスさまが追い出すことができたのは、神様から与えられた聖霊のおかげなのです。イエスさまは聖霊に満ちておられる方です。だから私たちも安心ですね。イエスさまが一緒にいれば、悪魔なんか決して寄って来ませんよ。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)60番「かみよ わたしの」、改訂版94番「ふしぎなかぜが」。
<用意するもの>色の違う風船 1人2個、マジック
・どちらかの風船(ここでは白)にニコニコの顔を、もう一つの風船にイジワルな顔を描く。
ニコニコ顔は、神さまに従う心に、イジワル顔はわたし達を神さまから引き離そうとするサタンに
見立てる。
さて、みんなに質問です。こんなときニコニコ顔ならどうする?イジワル顔ならどうする?
1. 疲れて電車で座っているときに、おじいさんが乗ってきた!
2. 意地悪されている友だちを見た。声をかけようかな・・どうしよう・・・。
3. 落とした荷物が散らばってしまった人を見かけた。急いでいるんだけど・・。
4. 友達の悪口でみんなが盛り上がってる。
こんなとき私たちの心の中に膨らんでいるのはどちらの色の風船だろう?どちらの色の風船を膨らませたい?1つの心の中で2つの風船を膨らませたりしぼめたりしながら心の動きをみんなで考えてみる。
※「今、ここにイエス様がいたら、どうさなさるだろうか」をヒントにしてみよう。
「かみさまが喜ぶ事ができる子どもにしてください」、と心を合わせて祈りましょう。
・サタンや悪魔の誘惑を感じることはありますか?そんな時はどうしますか?
・人の噂話をそのまま信じて、それを他の誰かに伝えてしまうことはありませんか? それが特定の人へのイジメや差別や偏見につながってしまったらどうでしょうか?
・神の御心を行う人とはどんな人のことでしょう?