TNG The Next Generation

2021年5月16日 主の昇天

福音書 ルカ24:44~53
第一の日課 使徒1:1~11
第二の日課 エフェ1:15~23

今週の聖句

「祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。」
ルカによる福音書24章51節

ねらい

・主イエスの昇天は「別れ」ではなく「始まり」の時。天に昇られることで主の祝福が全世界の人々へと広がっていく希望と約束の出来事だと言うことを知る。

説教作成のヒント

・英語で卒業式をcommencementと言いますが、ここから始まるという意味の言葉です。ですから、ルカにとって主イエスの昇天の記事は、「終わり」ではなく教会の時が「始まる」プロローグに他ならないのです。十字架上で死に、そしてよみがえられた主イエスは、そのお姿を40日間に亘って弟子たちに示されました。しかし、嬉しい反面、復活の主を見ても信じられないでいる弟子たちの霊的な盲目性が描かれています。45節には、そのような弟子たちのために、「イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて」下さったとあります。私たちも同様です。不安の最中にこそ、心の目を開いて頂くのです。そして聖霊を求めよ、と主は命じておられるのです。この聖霊を与えるために主イエスは昇天されたのです。そして、聖霊に満たされ、心の目が開かれた弟子たちは、復活の主の「証人」となっていったのです。

・『セーラー服と機関銃』という映画の主題歌に「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うための遠い約束」という歌詞があります。主イエスの昇天は、地上における一時的な別れに他なりませんが、再会の約束が与えられているのです。そして主イエスは弟子たちを祝福しながら天に上られ、祝福の手を私たちのためにまだ上げ続けていて下さいます。この主の祝福に支えられ励まされて、私たちは信仰の旅路を歩む幸いが与えられているのです。

豆知識

・復活節の最後を飾るのが昇天主日であり、同時に聖霊降臨の出来事への橋渡しとなっています。特にルカは、聖霊行伝とも呼ばれる使徒言行録を福音書の続編として残しています。それは、主イエスの昇天が終わりではなく、聖霊によって新たないのちに生かされ、復活の主の証し人たちが福音を告げ知らせていく始まりとなっていくからです。「マラナ・タ(MARANA・THA)」という言葉は「主よ、来て下さい」という意味ですが、区切りを一文字ずらすと「マラン・アサ(MARAN・ATHA)」、「主は来て下さった」という意味になります。教会の時代を生きている私たちは、まさに既に主が来て下さった時代と主の再臨(終末)を待つ時代の中間を生きているのです。

説教

皆さんは東京タワーやスカイツリーに上ったことがあるでしょうか? どうしてこんなに高いタワーが作られたのかというと、それはTVやラジオの電波をできるだけ遠くまで届けるためなのです。

私たちが顔と顔を合わせてお話するのはとても楽しいことです。声だけでなく、顔も見えますし、手を握ったり肩をたたくことも出来ます。でも、誰かと一緒にいることは、他の誰かとは一緒にいられないということでもありますね。イエス様のお弟子さんたちは、十字架で死んでしまったと思っていたイエス様が復活なさって、以前と同じように自分たちとご飯を食べたりお話をしたりするのを見て、とても嬉しかったと思います。しかし、復活されたイエス様は、もうお弟子さんたちだけのイエス様ではありません。世界中の全ての人たちのイエス様になって下さったからです。

それでは、世界中のみんなにどうやったらイエス様の声を届けることが出来るでしょうか? それはスカイツリーよりももっと高い「天」に昇ることです。世界中の放送が見られる衛星放送の衛星が高~い空の上にあるように、「天」からなら世界中のみんなにイエス様のメッセージを届けることが出来るのです。

しかし、そのためにはお弟子さんたちに「さよなら」を告げなければなりませんでした。でも、この「さよなら」は「またね(また会いましょうね)」という意味の「さよなら」だったのです。だからお弟子さんたちは悲しくはありませんでした。むしろ元気にイエス様のことを沢山の人に伝えることができたのです。だって、心の目にはニコニコと祝福しておられるイエス様のお顔がいつもしまってあるからです。

TVでもラジオも、見たり聞いたりするためにはチャンネルを合わせなければなりません。イエス様の声はいつでも聞くことが出来ます。そのためには心のチャンネルをイエス様に向けるだけで良いのです。どんなに悲しい夜や嵐の日でもイエス様の声は聞くことが出来ます。そのために、イエス様は天に昇って下さったからです。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

旧版(1987年版)140番「さようなら グッバイ」、改訂版37番「さようならグッバイ」。

やってみよう

『マラナ・タ』と『マラン・アサ』を並べてみよう。

*Ⅿ、A、R、A、N、A、T、H、Aの文字を一つずつ書いたカードを人数分用意する。

 間に入る「・」は、持っている聖書や讃美歌の本を用いる。

① 各自、マラナ・タになるようにカードを並べる。(ⅯARANA・THA)

② この意味を言ってみよう。「主よ 来てください」(何回かマラナ・タ…主よ来てくださいを繰り返して言ってみてください。覚えられるように)

③ 次に、マラン・アサと並べ替える。(ⅯARAN・ATHA)

④ この意味を言ってみよう。「主は 来て下さった」(繰り返して覚える)

「主は 来て下さった」… そして、イエス様は、天に昇っていかれました。

弟子たちに、聖霊をお与え下さるために…。

「主よ 来てください」と聖霊の力を求めることを教えてくださいました。

私たちもその力に励まされ、力づけられ、支えられていることを忘れないでいたいですね。

※讃美歌21より、81番「主の食卓を囲み」をみんなで歌ってみましょう!

はなしてみよう

・お弟子さんたちは、イエス様とお別れをして悲しいはずなのに喜びに溢れていました。 どうしてでしょうか。

・沢山の人にイエス様のことを伝えようと思ったら、皆さんだったらどんな方法を思いつくでしょうか?

・英語の「さようなら」は”Good-bye”ですが、これはGod be with you(神さまがあなたと一緒におられます)という意味です。どうしてこの言葉が「さよなら」になったのか話し合ってみましょう。

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